2013/02/07

非加熱タンザナイト


タンザナイト Tanzanite
Merelani Hills, Arusha, Tanzania



今や宝石の枠を超え、広く知られるようになったタンザナイト。
目下休止中のブログに突然記事をアップするのはどうかと思うが、気がかりなことがあるので報告したい。

タンザナイトと聞いて私たちはあの深いブルーをイメージする。
加熱処理を前提とした宝石であることをご存知の方も多いはず。
以前、非加熱タンザナイトってどんな感じなのだろう?という疑問を抱いている方がおられた。
石には非常に詳しいのに、ご存じないとは意外だった。
どうも、未処理のタンザナイトは滅多に流通せず、かえって入手困難であるようだ。

宝石質の非加熱タンザナイトを一時期集めていたことがある。
私がむしろ、人工石のほうを好んで集めているのはご存知の通り。
なぜタンザナイトに限って未処理なのかというと、単にひねくれ者だから?
鉱物を知ってすぐに購入した安価な破片状原石。
写真は室内にて、ライトをあてて撮影した(実際の色は本文下、右側の写真に近い)。
シルバー、ゴールド、ブルーの輝きが同時に見えるのは、タンザナイトの持つ多色性に因る。
太陽光では褐色に近いイエローに見える。
室内光ではどちらかというと赤みを帯びて見える。
なんとかして青い輝きをとらえようと試行錯誤した成果が冒頭の写真。

透明度に富み、強い輝きと光沢を示すゴールデン・タンザナイト。
悪くないと私は思う。
非加熱未処理タンザナイトといわれて私がイメージするのは、このゴールドの色合い。
だが、意外なほど流通がない。
非加熱未処理というタンザナイトの原石は紫に近いブルーが一般的なよう。
初めから青いタンザナイトというのは存在しないと思い込んでいたが、大量にある。
青い原石というのも実はあって、数が少ないために高額で流通しているのかもしれない。
いや、原石の段階で加熱処理されているように見えるのだが…

まずいことになった。
人工石は日本人にとってまがいものに他ならない。
大自然の恵みである鉱物に手を加えることは許されないはずである。
少しでも人工処理を施せば、パワーストーンのパワーがたちまちのうちになくなってしまうという説もあるほどだ(→ゴールデンダンビュライト)。
なんと、タンザナイトを加熱せずに青くする技術まであるというではないか。
タンザナイトはしょせん偽物。
日本から消える日は近いのかもしれない。

参考)コーティングを施した非加熱タンザナイトが増加中
http://weblog.gem-land.com/?p=112

参考)ヴィクトリアストーンに見る人工石と日本人の価値観
http://usakoff.blogspot.com/2012/12/blog-post_27.html

最初に示したサイトさまより引用させていただく。
記事では、コバルトのコーティング処理によって、褐色のタンザナイトが青く生まれ変わると説明されている。
非加熱未処理に加熱未処理石。
ならば非加熱処理石もありということらしい。
非加熱という言葉を利用して売り出そうとする思惑が見え隠れする。
結晶表面にイリデッセンス(虹が輝いて見えるさま)が多く確認できる、多色性の乏しさなどがその特徴として挙げられている。
気になる方はチェックしていただきたい。

これはまさに、私が抱いていた違和感そのもの。
手持ちのゴールデン・タンザナイトには、著しい多色性が認められる。
いっぽうで、非加熱タンザナイトとされる青い石には、青以外の色は認められない。
コーティング処理によって多色性が失われているというなら納得がいく。
多色性を持つ鉱物といえば、アイオライト。
アイオライトは光の角度によって青からイエローに変化する。
未処理のタンザナイトの本来の輝きは、その逆である。

未処理のタンザナイトが滅多に流通せず、かえって入手困難なのは事実のようだ。
おそらくイメージの問題で、青くしなければ売れないのだろう。
天然石の魔法にかかって、石の意味に夢を抱くのは自由だ。
だが、天然か人工かで石の価値が決まるのであれば、処理や加工が前提のビーズや宝石がパワーストーンブームを支えているという現状には矛盾がある。
天然石を処理したものは天然石という意見もあるが、世界的には通用しない。
日本には欧米以上に人工石が定着している。
天然という言葉が名もなき石に価値を与え、人工という言葉が真の価値を遠ざける。

1966年にタンザニアで発見され、1969年にティファニー社によって世界に紹介されたタンザナイト。
クンツァイトを見出したティファニー社副顧問、ジョージ・フレデリック・クンツ博士によってその名が与えられた。
もともとの鉱物名であるゾイサイドの名がスーサイド(自殺)を想起させるために、クンツ博士が機転をきかせたというエピソードも有名。
加熱処理によって色濃い青に変えられ、より透明感と輝きを増したタンザナイトは、カットされて宝石となる。
希産鉱物の宝庫、タンザニアのメレラニ鉱山からしか見つかっていないとされている。
タンザニアを代表する宝石として、むしろタンザニアの名を有名にした存在といえよう。
国名に由来する鉱物は、このタンザナイトの他にブラジリアナイトアフガナイト、シンハライト(現スリランカ)など。
逆に鉱物が国名の由来となったのはアルゼンチンで、ラテン語で銀の意味であるという。




14×11×7mm

2013/01/15

パープルジェード(トルコ産翡翠輝石)


パープルジェイド
Purple Jadeite
Bursa, Marmara Region, Turkey



誕生日なのでご縁のある石をと思ったが、ここは変わり者のうさこふであるからして、私には最もご縁のないはずだった、類い稀なるレアストーンをご紹介する。

トルコからやってきたという、色濃いパープルの翡翠。
ネフライト(軟玉)ではなく翡翠輝石(硬玉)にあたるそうだ。
シリカ成分が入ってカルセドニーと化しているため、パープルの色合いがより上品かつ輝いて見える。
まるでスギライトのように神々しいお姿である。
宝石質の色濃いスギライトは石英を含んでいることが多いから、原理としては同じなのかも。

ネフライトか本物か偽物か(※注)といった議論で盛り上がることが多い翡翠だけに、私は長らくネフライトのほうに着目していた。
翡翠輝石のほうは盲点だった。
翡翠など高貴すぎて、自分にはふさわしくない。
この高貴すぎる紫の翡翠を偶然にも手にし、ふさわしくないにも程があると感じたため、誠に勝手ながら自分の誕生日にまつわるエピソードを中心にお送りする。


注)翡翠は翡翠輝石(硬玉)とネフライト(軟玉)に分けられる。中国で古くから珍重されたのは軟玉、つまりネフライト。その後ミャンマー産の硬玉が知られるようになり、翡翠として定着した。
日本では縄文時代より硬玉が知られ、宝飾品や魔除けなどに用いられたといわれる。新潟県糸魚川の翡翠は国産鉱物を代表する存在で、熱狂的ファンも少なくない。
日本では一般に、軟玉より硬玉のほうが価値が高いとされる。ネフライトは翡翠の偽物として避けられることもあるほどだが、欧米人の大半は硬玉と軟玉の区別をしない(できない)ので、要注意。


実は、昨日までこのエピソードを記すか記すまいかと、悩んでいた。
誰もが興味を持ってくださるような内容になるとは思えなかったが、これまで幾度も誤解を与えてしまっていたことがあったとしたら、誕生日にその原因を書いてみたいと思った。
ご近所にマイクのアナウンスが響く中、これを記している。

昨夜遅くのことだった。
私はまさに翡翠のことを考えながら、冷たい雨の中、帰路を急いでいた。
最後の曲がり角を過ぎたところで、道のずっと向こうに、見慣れない灯りが煌々と燈っているのが見えた。
どこかで見た、不可思議な光景であった。
それが人の死を意味する灯りであることは、百メートル離れていても伝わってきた。

実家の斜めお向かいの御宅に不幸があったとのこと。
翌日が葬儀とある。
私が数日前から虜になっているこのパープルジェイド。
この石を一目見てからというもの、私がずっと心に描いていた人物。
その人物の葬儀が行われた日もまた、私の誕生日だった。

自分はその人を先生と呼んでいた。
特別に偉いからとか、指導者だからといった理由ではなく、ただ純粋に、誰も言わないことを教えてくれたから。
悪くて結構、阿呆になるくらいがちょうどよい、広い広い世界のことを学んでみるといい。
そして、死はこわくない、と繰り返し私に語った。
ただそれがいつ頃で、自分がどういう状況にあったのか、長らくわからなかった。
小学校低学年くらいかと思い込んでいた。
昨年の春、古い資料が出てきて、ようやく記憶の謎が解けた。

私が先生と呼んでいたその人物は、宗教学者であり、英文学者であり、哲学者であり、翻訳家であり、仏僧という特異な経歴の持ち主であったらしい。
幼少期から教会に通って英語を学び、仏典を海外に紹介。
アメリカのキリスト教会より渡米して神父になるようスカウトされる(!)もきっぱり断り、僧侶として日本を生きた97年の生涯。
子供だった私はすぐに影響を受け、世界中のあらゆる宗教について学ぼうと意気込んだとみられる。

資料を見ておどろいたのは、先生の葬儀が行われた日が私の4歳の誕生日だったということ。
おそらく、周囲の人々がその事実を隠したのだろう。
つまり先生にお世話になったとき、自分は3歳、若しくはそれ以下だったということ。
死がタブーであることを思い知ったのは4歳のときだったから、その直後。
宗教がタブーであることを知ったのもその頃だ。
先日、縁あってお世話になった方から、自分に宗教心がある、という興味深いご指摘を受けた。
三つ子の魂百なんとやら、人間とは単純なものである。

事情があって、私は当時、家族と離れて暮らしていた。
親の顔も忘れていたほどだというから、周囲は同情的だったのだけれど、先生は私にいっさい同情しなかった。
先生の好奇心旺盛な瞳と強く響く声を今でも覚えている。
死はこわくないと教えてくれた先生は、ある時、突然いなくなった。
雪の中、長い葬列が続くさまをはっきり覚えている(※記憶では、途中から悪夢の集団下校に切り替わる)。

父のように慕っていたその人物について、ここで具体的に触れることは避ける。
自分の年齢がバレるからではない。
先ほど調べて、後に語られているその人物像に違和感を感じたからだ。
他の思想を遠ざけるべく、名前を利用されている。
或いは異端者のごとく扱われ、遠ざけられている。
信仰や思想、また国籍などを理由に他者を遠ざけることをしない、というのが先生の本質だと思っていた。
そしてつい先日知ったのであるが、日本國が迷信國となることを何より危惧されておられたという。
また「誰でも各種の災難や不幸に出逢うたならば、それは自分の種まきが悪かった報いであるから、潔く自分を反省して、さんげし、悔い改めて、これから、悪い心を起こすまい、悪い事をしないように決心して、自分の考えて、これが一番良いと思う方法をえらんで、事件を処理して行けばよい」とも申された。

以上のようないきさつで、今日はこの石を選んだ。
簡潔にまとめよう。
翡翠は私には勿体無いほどに高貴な石。
どちらかというと避けていた石。
まさか米からこんなものが手に入るとは思っていなかったし、何の期待もしていなかった。
そして産地であるトルコは、東洋と西洋の中間にあたる土地。
圧倒的な美しさは、先生が旅立っていったあの日、置き去りにされた私の気持ちによく似ている。

無宗教というおしえこそが、日本最大規模の宗教なのかもしれない。
先ほどふと、思った。
なお、我々が頻繁に目にするラベンダージェードのビーズは、本質的には着色を施された岩石である。






38×27×21mm  17.96g


2013/01/13

メッシーナクォーツ/ピーモンタイト


メッシーナクォーツ
Quartz/w Piemontite
Messina Mine, Limpopo Province, South Africa



希少鉱物ピーモンタイトとヘマタイトのインクルージョンでピンクに染まった水晶。
アジョイトの産地として有名なメッシーナ鉱山から産出するという。
変化に富む結晶形とリチウムクォーツに似た優しい色合いから、欧米のクリスタルヒーラーの間で話題になっている。
この色合いは、リチウムではなくマンガン由来である。

ピーモンタイト(紅簾石)はイタリア原産の希少鉱物で、滅多にみかける機会はない。
本当に入っているのかと、疑いたくもなる。
水晶のインクルージョンに関してはアバウトな印象の否めない欧米のヒーリングストーン業界。
実際、鉱物標本としてはヘマタイトのインクルージョンに因る、としているところもある(多くはヘマタイト及びピーモンタイトを内包するとしている)。
どちらかというとヘマタイトの占める割合が多いのは間違いないはず。
そう思いながら、ピーモンタイトについて調べたところ、大変なことになっている。
南アフリカ産ピーモンタイト(ピーモンタイトシスト)なるパワーストーンが2、3年前から国内でビーズとなって流通しているようなのである。

どうもピーモンタイトの名を聞く機会が増えたと思っていた。
大量に流通しているではないか。
希少石のはずが、パワーストーンに数えられるようになっていたとは知らなかった。
しかし、このメッシーナクォーツと同じものなのだとしたら…
主な成分はヘマタイトということになる。

参考:ピーモンタイト・シリシャスシストとロードナイト
http://jp-ishi.org/?p=545

ロードナイトと混同されて流通しているというピーモンタイト。
ロードナイトにしか見えない。
さらに、ピンクエピドートなるビーズが流通している(解説は緑簾石)。
まるでピンクに染め上げたクォーツァイト。
わけがわからなくなってきた。
メッシーナクォーツに関しては、本文下の写真にあるように、ピンクの色合いは表面付近に集中していて、内部はクリアであることが多い。
加工するとファントム・クォーツになるはずである。
ビーズとなって大量に流通するほど採れるようには見えない。
ピーモンタイトを含むシリシャスシスト(石英を含む片岩)とのことだから、写真の水晶とは異なる岩石が加工にまわされた、もしくは無関係な染色シリシャスシストをピーモンタイトとして販売している…
ピーモンタイトが入っているという保証はない。
参考までに、ピーモンタイトの原石の様子を示しておく。



ピーモンタイト Piemontite
Prabornaz Mine, Saint-Marcel, Piemont, Italy



原産地からのピーモンタイトの標本。
先日の池袋ショーで発掘して参った。
国内で流通しているピンクカラーのピーモンタイトのビーズとは別物である。
ガラス光沢を示す赤紫色の結晶が複雑に入り組むさまは、実に見応えがある。

いっぽう、国内で流通している美しいマット・ピンクのピーモンタイトのビーズ。
中身はほとんどヘマタイトなんじゃないか、という疑問である。
比較的安価なロードナイトとの類似点も気がかりなところ。
まあ、いいか。

原石のほうは、両端の結晶したDTとなっており、変形ファントムonエレスチャルともいえそうな、何とも喩え難い姿をしている。
メッシーナクォーツは大きい上、ポイントが四方八方に飛び出しているなど、随所にみられる奇想天外な結晶構造に度肝を抜かれる。
変わった水晶のお好きな方は要チェック。
表面より染み込んだピーモンタイトによるフルーティなピンクの色合いには、リチウムクォーツとはまた違った魅力を感じる。
メッシーナから産出するアジョイト、及びパパゴアイト入り水晶には、赤い不純物の入ることも多い。
鉄錆びとみなされ、過去には取り除かれていたこともあったという、あの赤いインクルージョン。
時と場合によっては希少石ピーモンタイトが含まれているのかもしれない。
夢は大きく果てしなく、どこまでも。




73×40×28mm  116.5g

2013/01/11

イリスアゲート


イリスアゲート
Quartz var. Iris Agate
Rio Grande do Sul, Brazil



イリスアゲート。
以前からよく耳にしていたが、実物を見たことがなかった。
アゲートの中に極めて稀に現れるという希少石のひとつ、イリスアゲート。
日本でヒットを飛ばしたのは知っていた。
ところが、アゲート収集が盛んな欧米では、滅多に聴かないし、見かけない。
私にとっては謎の存在であった。
手にする機会のないまま、月日は過ぎていった。

ある日、お世話になった方と話していて、突然イリスアゲートの話題になった。
正直に告白する。
私にはサッパリわからなかった。
レアストーンハンターを名乗る以上、わからないでは済まされない。
一度、この目で確認する必要があるのだが、なんせ相場がよくわからない。
まずは一番お手頃な、イリスアゲートの原石なるものを購入してみた。

参考:ワイオミング州のイリス珪化木(参考例)
https://sites.google.com/site/wyomingrockhound/rocks-of-wyoming/wyoming-iris-agate

なんだかよくわからなかった。
どうも薄切りにしないと虹は見えないらしい。
厚さは5mm以下というから、私のような素人には到底無理である。
アメリカの知人に聞いてみた。
イリスアゲートは確かに存在する。
だが持っていない、とのこと。
あれだけアゲートの収集家がいるというのに、奇妙である。
いっぽう、国内サイトを検索すると、かなりの方がお持ちの様子。
数万分の一の確率で現れるという幻のイリスアゲートが、どうしてこれほどまでに話題に上り、流通しているのか。
いったい誰が流行らせ、広めたのか。

写真にあるのは先日、ようやく手にした薄切りのイリスアゲート。
思っていたより分厚い。
虹の見えるのは片面のみのよう。
スライスした瑪瑙を、虹の帯がぐるりと一周する。
これは確かに面白い。
光の干渉によるレインボーというのは理解できた。
強烈な太陽光の下よりも、室内光のほうがくっきり虹が見えるのは不思議ではある(写真は太陽光で撮影。必ずしもそうとは限らない)。
これを1mm以下の厚みにカットすると、驚くべきイリュージョンが楽しめるという。
あまりにペラペラでは取り扱いに困るから、ある程度厚みはあったほうがいい。
上質のイリスアゲートは全体に幻想的な虹が浮かぶ。
帯タイプについては、売れ行きの芳しくない着色メノウのプレートを探せば発見することが可能らしい。
イリスハンターたちが全国各地に生息、日々メノウプレートを物色しているというから、ただごとではない。

では、イリスアゲートはいったい誰が流行らせたのか。
2007年頃から徐々に話題になり始めているのは確認できた。
ならば2006年頃か。
なんと、2006年に記されたブログに、イリスアゲートの名があった。

参考:少年ジャンプのまとめサイトにイリスアゲートが登場(2006年4月 20号)
http://dreamwords.blog.so-net.ne.jp/2006-04-17

このとき『魔人探偵脳噛ネウロ』という漫画に虹瑪瑙(イリスアゲート)が登場したということであった。
ブログ主さんの解説によると、イリスアゲートについては当時、検索しても1件しかひっかからなかったとのこと。
その1件として挙げられているのは、国内の有名な専門サイトさま。


少年漫画を読まない自分にはよくわからない。
おそらく、当時この漫画を読んだ奴らは、いっせいにイリスアゲートをググッたとみられる。
そして上記のサイトを知った人々は、イリスアゲートを探し求めた。
需要は日々、高まっていった。
天然石/パワーストーンとしてのイリスアゲートの知名度も、別途上がっていったものと私は推測する。
というのも、2005年以前のネット上の記事に、イリスアゲートの名が見当たらないのである。
もしや、イリスアゲート日本上陸のきっかけは、少年ジャンプ?

ちなみに、上記の作品だが「まじんたんていのうがみネウロ」と読むらしい。
禍々しいタイトルに反し、作者の松井氏はわりあいイケメン(当時)のようである。
レアストーンを集めているようなふうには見えないのだが…
2006年といえば、私自身まだ鉱物に興味を持って間も無いから、状況は全くわからない。
ご存知の方がおられたら、是非お知らせいただきたい。
もしイリスアゲートがきっかけで鉱物に目覚めたという方がおられるのだとしたら、少年ジャンプは侮れない。

写真のイリスアゲートは、ブラジル最南端、リオグランデ・ド・スル州から発見されたもの。
瑪瑙の産地として知られる土地である。
多くの原石はスライスされ、青や緑に着色されてしまっている。
そんなメノウプレートの中に、キラリと輝くレインボーを見つけ出すのを趣味としている人々がいる。
十万もの価格で販売されているイリスアゲート。
見た感じ、博物館級といえるものではない。
高すぎると言わざるを得ない。
お金に代わる時間があるという方は是非、街へハンティングに出かけてほしい。
ただし、まずは一度、現物を見る必要がありそうだ。


158×75×5mm  102.5g

2013/01/10

クリソタイル


クリソタイル
Serpentine Var. Chrysotile
Geisspfad area, Binn Valley, Wallis, Swizerland



美しいブルーグリーンの光沢を示すクリソタイルの結晶。
歴史的収集家の所蔵品を譲っていただいた。
クリソタイルといえば、インファナイトに含まれる鉱物としてご存知の方も多いと思う。
美しい鉱物には毒性があることも少なくないが、クリソタイルも例外ではない。
クリソタイルは白石綿とも呼ばれ、アスベストの一種に分類されている。
こんな美しい結晶の正体が、世間を騒がすアスベストだなんて信じられないが、取り扱いには注意が必要なのが現実。

アスベストに分類される鉱物は6種類。
サーペンティン類ではクリソタイル(白石綿)、アンフィボール類ではクロシドライト(青石綿)、アクチノライト(緑閃石)、トレモライト、アンソフィライト、アモサイト(茶石綿)以上がアスベストとして規制されている鉱物になる。
馴染みのある鉱物も少なくない。
アスベストにまつわる鉱物を挙げてみよう。

  • タイガーアイ
  • ホークアイ
  • グリーンルチル
  • ブルールチル
  • アクチノライト
  • ピーターサイト
  • ネフライト
  • インファナイト
  • ゼブラジャスパー
  • アンソフィライトヌーマイト若しくはアストロフィライトとして流通)
  • トレモライト
  • ヘキサゴナイト
  • グリーンクォーツ(一部)
  • ガーデンクォーツ

お手持ちのパワーストーンの名前が次々と出てくることに驚かれた方もおられるかもしれない。
他の成分が発色の原因となっているものも含めたので、気になる場合は詳しくお調べいただきたい。
研磨品、またインクルージョンとして存在する場合、危険物が飛び散る心配はない。
いずれもアスベストとして、産業用途での使用は禁止されている。
収集品として個人で持つ分には問題ないが、粉砕を薦めている霊能力者も存在するため、最低限の知識は身に付けておきたい。
以下、ご参考まで。

参考1:アスベストの基礎知識
http://www.jasmo.jp/tisiki.html


参考2:アスベストの99%を占めるクリソタイル
http://www.canadainternational.gc.ca/japan-japon/commerce_canada/chrysotile-about-apropos.aspx?lang=jpn&view=d

アスベストの毒性については近年特に問題視されている。
被害に遭った方のことを思うと安易に言及するのは憚られる。
世界中で古くから神聖視されてきたのもまた事実である。
自然界に存在し得ない量のアスベストを用いた我々に責任がある。

歴史的収集家が所有していたこの見事なクリソタイル。
石綿に対する批判が高まる中、この標本の美しさや歴史的価値を重んじ、生涯にわたって手放すことなかった。
亡くなったのはほんの数年前と聞いている。
その眼には、鉱物としてのクリソタイルが確かに映っていた。


83×23×12mm  28.58g

2013/01/06

ヴィクトリアストーン【第四話】はじまりとおわりの場所


桜石
Pseudomorph after Cordierite
Kameoka, Kyoto, Japan



雲間から洩もれた月の光がさびしく、波の上を照していました。
どちらを見ても限りない、物凄い波がうねうねと動いているのであります。
なんという淋しい景色だろうと人魚は思いました
。」

『赤い蝋燭と人魚』 小川未明 1921年)


2012年、ヴィクトリアストーンは一転して人気商品に変わる。
飯盛博士の後年の苦悩はなんだったのだろう。
カネになるとわかった途端、注目を集めるというのはどうも腑に落ちない。
また「人工石にも関わらず~」という断りが、決まって登場する。

日本において人工石がきらわれることについては、第一話で取り上げた。
万物に神が宿るとされる日本において、人工石に魂が宿るとするなら、作者が既に亡くなっていることが前提で、それゆえヴィクトリアストーンは評価の対象となり得たと私は考えている。
三十年のブランクについては言及は避けたい。

そんな日本から、どうしてヴィクトリアストーンのような世界的プレミアのつく人工石が誕生したのか。
当初の記事では、飯盛博士が戦災によって失った個人的なコレクション、ネフライトを再現するべく造ったもの、と記した。
これには諸説あって、ヴィクトリアストーン誕生のいきさつに関する博士の発言はまちまちである。
"宝石を愛するあまり、また美しいものを追求した結果、ヴィクトリアストーンをつくったわけではない───いずれ世界から美しい宝石がなくなってしまうことを危惧され、開発に至った"
ご遺族はそう聞かされたと述べている。
いっぽう、研究者仲間の間では、ヴィクトリアストーンのモデルはアクチノライト(陽起石・緑閃石)と伝えられている(博士の陽気な性格を「陽起」石にたとえたとされる)。
しかし、公的資料においては「ダイヤモンドに次ぐ価値のある(クリソベリル)キャッツアイ」を再現するために開発されたとある。

ヴィクトリアストーンのモデルといい、研究の動機といい、ご本人の意図が明確に伝わってこないのは不自然である。
時と共に変化していくというのはもちろん、あるだろうけれど。
ネフライトがモデルとなったことは、彼自身が晩年、人生を振り返るようなかたちで明かしている。
ただ、公式に発表された痕跡はない。
諸説あるヴィクトリアストーンのモデルについては、世界的にはキャッツアイ、仲間内ではアクチノライト、そして博士の心中においては、一貫してネフライトであったというのが私の推測である。
それが公にならなかったのは博士自らの意図ではなかろうか。

飯盛博士はどうも、ご家族にさえ心の内を明かさなかったように感じるのだ。
博士の真意が垣間見える一言がある。
ヴィクトリアストーンを造った動機について、彼は「戦争によってうちのめされ、つづいてアプレゲールの世間から打ち捨てられたこの老人の発心であった」と、述べている。
アプレゲールとは、戦前の価値観・権威が完全に崩壊し、かわってゆくさまを指した当時の流行語。
この発言の意味するところ、戦争が終わり用無しになり、抜け殻のようになった博士を奮い立たせたのは、研究者としての意地だった…
若しくは、いずれ何らかの形で自身が批判の対象になることに対する懸念、
そして失ったあらゆる可能性と、限りある存在への罪滅ぼし。
温和でマイペースな彼が時折見せる、激しく強靭な魂を垣間見るたびに、誰にも告げることなく心の内に抱き続けた想いがあったのではないかと、胸が痛む。

これだけでは、ヴィクトリアストーンが封印されるに至った理由を説明できない。
この類い稀なる宝石を、自らの死をもって封印したとするなら、その理由をひとつに絞ることは避けたい。
原爆開発に携わった自身の研究が無に帰したことに対する悲嘆。
人類を狂わせる放射能との決別。
国内での需要がなく、引き継ぐ者もいなかったという現実。
死後に技術が改変され、意図せぬ方向へと向かうのを防ぐため。
そして何より、自分の跡を追ったがために早世した息子への愛と後悔が、一貫してそこにあったと私は推測する。
というのも、彼の跡を追って原爆開発に関わり、志半ばで死去したご長男の話題が、資料のどこにも出てこないのである。
無念の記憶として繰り返し出てきてもよさそうなのに、ご遺族も明言を避けておられる。
意図的に避けたとしか思えないのだ。

一昨年、夢で飯盛博士と歩いた石川県の海岸。
彼の地に石を愛する一人の男がいた。
飯盛博士の業績を評価し、辿ってこられた人物でもある。
今回の記事を記すにあたって、氏がお集めになった貴重な資料を参照させていただいた。
氏の盟友であるあの岩石岩男氏が、このご縁を繋げてくださった。
鉱物を愛する勇敢なハンターであるお二方、そして全世界の偉大なる父上に、恭敬の意を表する。
2012年、80歳になったアメリカの父に贈った京都の桜石(アイオライト仮晶)の写真を最後にご紹介させていただく。

思えばこのブログを始めたのは、自然が創り上げた鉱物が、自然には存在し得ないほどの放射能によって容易に変化することを危惧したのがきっかけだった。
ヘリオドールクンツァイトモリオン、或いは放射性鉱物。
大自然の恵みであるはずの鉱物に、人類の狂気が関与しているという悪寒。
我々は、放射能の恩恵に与り、原子力を頼って生活してきた。
それを問う結果になったのが、2011年3月に起きた、福島での原発事故。
昭和二十二年、疎開先の福島で博士が原子力の可能性と限界を示唆していたことは前々回に引用させていただいた。
博士の危惧は現実となった。
事故後の混乱が落ち着きを見せ、原子力の限界が問われている今、博士の遺志を伝えることは無駄ではないと信じている。
ヴィクトリアストーンは、福島の地から生まれた。

米軍により、放射化学研究が禁じられたのち、飯盛博士は疎開先の福島県で、陶磁器の技術を「暇つぶし」のために学んだとされる。
終戦の年、博士は新たな研究を進めるために、福島県会津、及び相馬の地を訪れた。
その後、陶磁器をつくる過程で、ヴィクトリアストーン誕生のヒントとなる特異な物質を発見されたというエピソードが残っている。
私は意図的に進められたものと推測する。

博士がどのような理由で、どのような経路を経て会津と相馬の二箇所を訪れたのかは、現時点ではわからない。
当時彼が疎開していた福島県石川町からはいずれもかなりの距離があるし、方角的に離れすぎている。
ある方のご意見を聞き、なるほどと思った。
相馬には、海がある。
もし彼が海を見たとするなら、故郷・石川の海を思ってのことかもしれない。
その海は現在、放射能に汚染され、近づくことはできない。
相馬には、相馬焼という伝統工芸が存在したようだが、先だっての原発事故の影響で壊滅状態となっている。
博士がヴィクトリアストーンの開発にあたって技術を拝借したのは、相馬焼に間違いないはずだ。
原発事故後、相馬を南下することは堅く禁じられている。
つまり、ヴィクトリアストーンの始まりの地は、関係者以外が立ち入ることのできる、最後の土地ということになる。
置き去りにされた街に、置き去りにされた人々の姿を、私は忘れることができない。
私の知る限りでは、福島のもたらした電力を当たり前のように利用していた関東の人々にとって、福島の人々の現状は空想であり、全くの他人事であった。
同じ日本人の現実として、ただ受け止める。

※当時の記事に興味のある方は是非。南相馬市の様子です。
http://usakoff.blogspot.com/2012/05/blog-post_11.html

原発事故は先人の過失だと叫ぶ者が現れた。
夢でお会いした博士の険しい表情の意味を、私はここに書きとめておきたいと思った。
飯盛博士が槍玉にあげられるのは時間の問題であった。
あらゆる伏線が敷かれていたのに、我々はその警告に気づくことなく、最悪の結果を目の当たりにすることになった。
博士の死後三十年間、誰もそのことに気づかなかったのだとしたら、私はここで警告する。
事故は、起こるべくして起こったのだと。

ヴィクトリアストーンを完成させた飯盛博士にもできなかったことはある。
この石の真の価値を日本に定着させることである。
皮肉にも今、ようやく陽の目を見たヴィクトリアストーン。
本当にこれでよかったのだろうか。
私は問い続ける。

2013年、初夢に博士は現れなかった。
今、博士の無念は晴らされたものと私は信じている。
永遠の自由を得られたことと、信じている。
長い人類の歴史において、原子力の時代が始まってから、まだ百年経っていない。
しかしながら近い将来、多くの犠牲を伴って終わりを迎えることは明白である。
もうこれ以上犠牲者を出してはならない。
最後の警告として、受け入れようではないか。


思うにこれからの人類繁栄を約束する
あの原子力や放射性同位体、
そしてわれわれ人類の死活を
一瞬にして決せんとする
あの恐ろしい鍵の一つを握る放射化学よ!

筆者はそなたが
わずか半世紀の間に
こんなにもすばらしいものになろうとは
夢にも予期していなかった。

しかし願わくば
今後の放射化学は
絶対に心なき人々の手に委ねてはならない。
気違いに刃物といっても
この場合は
全人類の絶滅を意味するからである。


(『放射学と放射化学 化学と工業』vol.13 (1960) 飯盛里安)




おわり

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What Mineral Would You Take with You to A Deserted Island?