2012/01/09

ビクトリアストーン


ヴィクトリアストーン
Victoria Stone/Imori Stone
USA - Iimori Laboratory, Japan



幻想的な模様が好奇心をそそる美しい宝石。
グリーンのほかにブルー、イエロー、オリーブなどさまざまな色合いがある。
欧米、特にアメリカでの評価は高く、概ね100ドル以上で取引されている。
ビクトリアストーンは人工的に作られた宝石である。
しかしながら、開発者がその製造過程を誰にも明かすことなく死去したため、今後新しく作られることはないとされている。
その希少性と神秘性、美しさから、海外では有名な合成石の一つ。
石のカリスマブログライターさんが(ややこしいので省略)予定されていることを知った。
国内では見たことのなかったビクトリアストーン。
タブーではあるまいかと避けていたが、真相を問うべく書かせていただく。
福島での原発事故の熱が冷める前に。

3年ほど前にアメリカのディーラー経由で知ったビクトリアストーン。
イモリストーンとの併記があった。
イモリ=爬虫類?
何事と思ってよく読んだら、日本の研究者である飯盛里安(いいもりさとやす)博士が開発した人工石であり、iimoriが訛ってimoriとして定着してしまったようだった。
日本人が開発したにも関わらず、日本国内にビクトリアストーンが存在しないばかりか、適切な資料さえ見当たらないのは不可解であった。
まるで封印されたかのよう。

飯盛博士は放射性鉱物や発光性鉱物、希元素などの研究、放射能測定機の考案等の功績を持つ化学者で、1982年に96歳で亡くなっている。
戦時中に日本で極秘に行われた原爆開発。
このプロジェクトに関わった研究者の一人に、彼の名前が挙げられている。
資料をあたり、封印された二つの実績がリンクしていないことに違和感を覚えた。
原爆とビクトリアストーンの開発者は別人なのか。
比較的珍しいお名前だから、どちらもご本人であろうと思う。
もしこの矛盾が事実であるならば、彼はおそらく利用されたのではないか。
日本軍が福島県石川町で原爆を製造した歴史が封印されたことは燐灰ウラン鉱で取り上げた。
事故のあった東京電力福島第一原発にほど近いその土地で、動員された学生らが放射性鉱物の採掘に従事し、失敗に終わったという皮肉である。

飯盛博士は97歳でこの世を去るまで精力的に宝石の開発に取り組んだ。
志半ばで亡くなったわけではないから、レシピが残っていないというのは不自然で、意図的なものではないかと疑いたくなる。
彼自身、過去を封印したとしか思えないからだ。
唯一の被爆国、日本。
その日本が原爆を作ろうとしていた事実。
重要なのは、彼が核開発を望んでいたとは思えないこと。

その福島において、歴史に残る深刻な原発事故が起きた。
以前カポジョンカットをお願いしたアメリカ人に、こうした事実関係について先ほど確認した。
見事にスルーされた。
日本とアメリカには、今もなお見えない壁がある。

※後日談…「研磨してもっと用意する」との一言(日本人との取引は私が初めて、通常は断っていたようなニュアンス)。のちに彼の正体が判明するが…

推測するならば、彼は平和を望み、自らの死をもってビクトリアストーンを封印した。
その宝石は今、アメリカで高く評価されている。
趣味の悪いアメリカンジョークとしか思えない。
飯盛博士がかつて福島で見た絶望的な光景。
明かされることのない想い。
それらは、この美しい宝石に秘められたまま、伝説となった。(2011年12月20日付)


飯盛里安(1885―1982)
http://www.kanazawa-museum.jp/ijin/sugao/main-iimori.htm




36×16mm  37.00ct



【続・ヴィクトリアストーン】

その後、明たな事実が判明しました。残念ながら、アメリカ人は飯盛博士やこの石の正体にはいっさい興味なく、事実関係にも無関心。「歴史から消えた宝石」というミステリーは好奇の対象に過ぎないというのが現実です。飯盛博士そのものが評価されているわけではありません。

ここに続編を含めた記事を、新たにアップさせていただきます。2012年明けてすぐ、初夢に晩年の飯盛博士が出てきたために、なにかあるのかと思い立ち、引き続き調べようと資料をあたったところ、わかったものです。以下に昨夜、音楽と鉱物と映画を愛する大切な友人に送った手紙を引用します。なお、国内でも「メタヒスイ」(別物です)として僅かに流通はあったようなのですが、宝石としての美しさより翡翠らしさを重んじる日本では、その存在は忘れられてしまったようです。


"クリスマスに見せたビクトリアストーンの話の続きがあります。親父と同い年の反日アメリカ人が所有していたあの石です。

昨日知りました。飯盛博士は、実は二人いたのです。名前も経歴も、職業どころか職場も同じだったために、同一人物だと思い込んでいました。

原爆の開発に直接関わったのは、飯盛博士のご長男、武夫氏でした。かの「二号研究」に携わってたった半年、終戦を待たずして、31歳の若さで亡くなったそうです。

博士がビクトリアストーンの開発に成功したのは、1955年。自分を追って東大理科学研究所に入り、研究を共にした息子を失った後悔の念を抱え、博士は終戦後、宝石の開発に没頭していったものと思われます。1952年に理化学研究所を引退し、飯盛研究所を設立してすぐ、彼は合成宝石の研究に取り組んでいます。

息子が最後に過ごした、ウラン資源の採掘現場ともなった福島県石川町の水晶山。博士がその山で収集したという、キャッツアイに彩られた美しいネフライト(軟玉ひすい)のコレクションが、博士に残された唯一の楽しみだった。しかしその宝物さえも、終戦の年に自宅共々焼け落ちたそうです。武夫氏の死去からわずか二年後のことでした。

ビクトリアストーンは、空襲により焼失した彼のコレクションを再現すべく開発された宝石だといわれています。しかしながら私は、失った思い出のネフライトと、自分の跡を追ったために早世した息子への想いを、博士が宝石という形で蘇らせたものと思えてなりません。アメリカは彼にとってかけがえのない宝物をすべて奪い去った恐ろしい存在だったはずです。同じく原爆開発に関わった湯川秀樹とは異なり、暴力的ともいえる言動でその無念をはらすことはせず、飯盛博士は研究者としての立場を貫き、天寿を全うされました。

福島第一原発の事故圏内に位置する福島県伊達郡。当地から発見された新鉱物に、飯盛石があります。飯盛博士とご長男・武夫博士、お二人の功績にちなんで1970年に命名されたそうです。ただ、奇妙なこともあります。飯盛武夫博士は、歴史から消されたも同然なのです。この石はその例外ともいえる貴重な存在です。

福島での原子爆弾開発に熱心に取り組んだ仁科芳雄博士。現在もその名を知られる偉大なる研究者です。ところが、仁科博士のもとで何も知らずに研究に取り組んだ武夫博士については、仁科プロジェクトに参加した研究者のリストから削除されているだけでなく、その死因すら明らかにされていないようなのです。里安氏については戦時中、仁科博士とともに国家幹部より原爆開発に関する相談を受けた記録が残っています。つまり、父親である里安氏も原爆の開発に関わっていた事実があった。同じ「飯盛博士」として一部で混同されているのもまた現実であるようです。

初夢に、飯盛博士らしきおじいさんが出てきました。たぶん晩年だと思います。博士は海を見つめたまま、何も話してくれなかった。本には博士の愛した海岸の写真がありました。彼の故郷、石川県にある、海沿いのペグマタイトだそうです。それは、確かに夢に出てきた光景でした(博士と記念撮影した場所にあった、謎の銅像は見当たらなかったけれど?)。

失われた歴史を知る二人の名を冠した飯盛石。そして日本においてはその姿さえ見ることのできない、幻のビクトリアストーン。ビクトリアストーンに平和への祈りとともに、我が子への愛と後悔が込められているように感じるのは私だけでしょうか。"
(12/01/15)






【特集】

ヴィクトリアストーンの真相
2012年 ~飯盛博士没後三十年を祈念して~


その後明らかになったヴィクトリアストーンの隠された真実に、うさこふが挑みます。

どうしてヴィクトリアストーンは日本から消えたのか。
飯盛博士はこの石に何を見て、何をしようとしたのか。
2012年、日本における突然のブームにより明らかになった、日本人には扱えない宝石、ヴィクトリアストーンの正体とは?


国内のウェブショップに続々登場するヴィクトリアストーンという名のカラーストーンに、私が強く感じた違和感。
背後に存在する思惑に、独自の視点で迫ります!
2012年末~明けて2013年、明らかになるその実態をお楽しみ下さい。



【第一話】メタヒスイ
http://usakoff.blogspot.com/2012/12/blog-post_27.html

【第二話】本当の意味
http://usakoff.blogspot.com/2012/12/blog-post_31.html


【第三話】父の愛
http://usakoff.blogspot.com/2013/01/blog-post.html


【第四話】おわりとはじまりの場所
http://usakoff.blogspot.com/2013/01/blog-post_6.html


完結!ありがとうございました



今週、話題性が確認された10の鉱物

What Mineral Would You Take with You to A Deserted Island?