2012/01/22

フローライト(レインボー)


フローライト Fluorite
China/中华人民共和国



パワーストーンとしてお馴染みの、フローライト。
フローライトは本来、衝撃や温度差により破損しやすく、光により退色する性質があるため、加工には向かない。
欧米では原石の造形美を楽しむものとして、専らコレクションの対象となる。
中国は世界有数のフローライトの産出国に数えられ、豊富なバリエーションと高い品質を示す原石標本は世界的評価を受けている。

中国の鉱物は日本への輸出に際し、加工を視野に独自のルートをたどるため、産地不明となってしまうことが大半。
このフローライトの研磨品も、中国産ということ以外わからない。
湖南省のYaogangxian鉱山のフローライトに似ているような気はするが、いかんせん中国は広すぎる。
原形を留めておらず産地も不明瞭。
鉱物標本としての価値は失われたということを意味している。

ずっと、考えてきた。
中国の人々は難しい。
これは中国、香港などを渡り歩いてきた日本人からもしばしば聞かれる言葉である。
これまでに(チベット系中国人も含め)多くの中国人に出会ったが、心を開いて打ち解けることのできる人にめぐり会うことは無かった。
私の性格上の問題と少なからず関係しているように思えた。
協調性のなさ、隙だらけの言動、成り行き任せの仕事ぶりは、彼らの目指すものとは間逆に思えた。
いつだったか、飛行機で隣に居合わせた、日本語を話す年老いた男性。
彼が中国人だとわかったとき、歴史的な溝もまた、感じた。

「中国に来るつもりなら、最低限中国語は話せるようにしろ。自分の身は自分で守れ」
そう教えてくれた人がいる。
彼は、同じ中学の出身で、バイト先で一緒になった、いわゆる在日中国人。
予測不能な行動と豪快で無敵の発言、スマートな仕事ぶりは、わりと個性的なバイトたちの中にあって、異彩を放っていた。
彼は誰よりも仕事ができた。
彼女は8人くらいいた(あやうく自分もカウントされそうになったので逃げた)。
しかし、彼が社会的に認められることはなかった。
日本人ではない、ただそれだけの理由で、就職のさいに本来の実力を評価されず、無念の表情を浮かべていた。
彼は亡くなった私の母のお気に入りで、幼かった彼は母を慕っていたそうだ。

あれから十年以上が経つ。
まだ石を集めはじめた頃、美しさのみに惹かれ購入したフローライトのエッグ。
箱を開けるたびに広がる虹色の光景は、夢のように美しかった。
大切に箱に入れ、自室に保管していた。

近所の店で働く中国人留学生、Rさん。
いつも笑顔で裏表がなく、かなりの天然である。
誰に対しても誠実に、謙虚に接する姿が印象的だった。
震災の折、帰国するよう泣く母を振り切って日本に残った。
お名前を中国語読みでいうとどのような発音か?という私の問いに、彼は日本語読みで呼んでほしいと繰り返した。
週七日勤務し、大学に通うというハードな生活。
彼は日本をどう思っているのだろう。
どうしても聞けないまま月日は過ぎていった。

師匠に薦められて年末に観にいった映画、『新世界の夜明け』。
正確には見逃して、諦めていた中でのアンコール上映だった。
謎が解けた。(※文末に詳細を記しました)

国籍など関係ない、ありのままのその人を見なければ意味がない、そう思っていた。
なのに自分はいつの間にか、意図的に彼らを避けるようになっていた。
想いは通じないものと、諦めてはいたのではないか。
国境は越えられるかもしれない。
石もまた同じ。
そのことに気づかせてくださった素晴らしい人々との出会いを、今後に生かすことができるかどうか。

私はもうすぐこの街を離れる。
Rさんに聞いてみたかったことはある。
聞くべきでないことも理解している。
私には希望がある。
宝物だったこのフローライトと同じくらい大切なものが、世界にはまだきっとある。



『新世界の夜明け』
サイト:http://shinsekainoyoake.jimdo.com/

中国系マレーシア人、リム・カーワイ監督の映画作品。
大阪・新世界のドヤ街(?)に、うっかり中国から来日した場違いなお嬢様の波乱万丈なクリスマスを描いた涙と笑いと希望の物語。以下、感想。

関西以外の人には馴染みのない土地かもしれない。
主に大阪市西成区、浪速区(及び近隣地区)の一部を指して使われる。
新世界のすべてを知り尽くす人は、おそらく世界中探してもいないだろう。
テレビカメラが入ることの許されないエリアも多い。
そのため、大阪在住の人々ですら、大半はこの街で何が起きているか知らない。
中国人有名監督がこのストーリーを撮ればこれほど日本人に支持されることはないだろうし、日本人有名監督が撮れば完成するかどうかも微妙。そんな街。
国際的にニュートラルな立場に立つ新鋭、リム・カーワイ監督だからこそ作れた作品だと思う。
監督の両国への愛情と理解が、この作品を支えている。
人懐っこいのかしらないが、海外では日本人の立ち入れない領域まで入れていただくことの多い自分も、この街にはかなわないと思った。
少なくとも、映画を撮る自信は無い。
観客を笑わせ、泣かせる自信は全く無い。

日本にあって日本でない新世界という特異な街を知る上で、この映画は重要な内容となっている。
インターネットの影響か、興味本位でこの街に土足で踏み入る人が増えていると聞く。
彼らにはすべて見えている。
この土地に生きる人々に対して失礼であり、極めて危険な行為であることを知ってほしい。
現実に泣き崩れる前に、まずはこの映画を見て泣いてほしい。


41×31mm  87.48g

今週、話題性が確認された10の鉱物

What Mineral Would You Take with You to A Deserted Island?