ラベル アイオライト の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル アイオライト の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2013/01/06

ヴィクトリアストーン【第四話】はじまりとおわりの場所


桜石
Pseudomorph after Cordierite
Kameoka, Kyoto, Japan



雲間から洩もれた月の光がさびしく、波の上を照していました。
どちらを見ても限りない、物凄い波がうねうねと動いているのであります。
なんという淋しい景色だろうと人魚は思いました
。」

『赤い蝋燭と人魚』 小川未明 1921年)


2012年、ヴィクトリアストーンは一転して人気商品に変わる。
飯盛博士の後年の苦悩はなんだったのだろう。
カネになるとわかった途端、注目を集めるというのはどうも腑に落ちない。
また「人工石にも関わらず~」という断りが、決まって登場する。

日本において人工石がきらわれることについては、第一話で取り上げた。
万物に神が宿るとされる日本において、人工石に魂が宿るとするなら、作者が既に亡くなっていることが前提で、それゆえヴィクトリアストーンは評価の対象となり得たと私は考えている。
三十年のブランクについては言及は避けたい。

そんな日本から、どうしてヴィクトリアストーンのような世界的プレミアのつく人工石が誕生したのか。
当初の記事では、飯盛博士が戦災によって失った個人的なコレクション、ネフライトを再現するべく造ったもの、と記した。
これには諸説あって、ヴィクトリアストーン誕生のいきさつに関する博士の発言はまちまちである。
"宝石を愛するあまり、また美しいものを追求した結果、ヴィクトリアストーンをつくったわけではない───いずれ世界から美しい宝石がなくなってしまうことを危惧され、開発に至った"
ご遺族はそう聞かされたと述べている。
いっぽう、研究者仲間の間では、ヴィクトリアストーンのモデルはアクチノライト(陽起石・緑閃石)と伝えられている(博士の陽気な性格を「陽起」石にたとえたとされる)。
しかし、公的資料においては「ダイヤモンドに次ぐ価値のある(クリソベリル)キャッツアイ」を再現するために開発されたとある。

ヴィクトリアストーンのモデルといい、研究の動機といい、ご本人の意図が明確に伝わってこないのは不自然である。
時と共に変化していくというのはもちろん、あるだろうけれど。
ネフライトがモデルとなったことは、彼自身が晩年、人生を振り返るようなかたちで明かしている。
ただ、公式に発表された痕跡はない。
諸説あるヴィクトリアストーンのモデルについては、世界的にはキャッツアイ、仲間内ではアクチノライト、そして博士の心中においては、一貫してネフライトであったというのが私の推測である。
それが公にならなかったのは博士自らの意図ではなかろうか。

飯盛博士はどうも、ご家族にさえ心の内を明かさなかったように感じるのだ。
博士の真意が垣間見える一言がある。
ヴィクトリアストーンを造った動機について、彼は「戦争によってうちのめされ、つづいてアプレゲールの世間から打ち捨てられたこの老人の発心であった」と、述べている。
アプレゲールとは、戦前の価値観・権威が完全に崩壊し、かわってゆくさまを指した当時の流行語。
この発言の意味するところ、戦争が終わり用無しになり、抜け殻のようになった博士を奮い立たせたのは、研究者としての意地だった…
若しくは、いずれ何らかの形で自身が批判の対象になることに対する懸念、
そして失ったあらゆる可能性と、限りある存在への罪滅ぼし。
温和でマイペースな彼が時折見せる、激しく強靭な魂を垣間見るたびに、誰にも告げることなく心の内に抱き続けた想いがあったのではないかと、胸が痛む。

これだけでは、ヴィクトリアストーンが封印されるに至った理由を説明できない。
この類い稀なる宝石を、自らの死をもって封印したとするなら、その理由をひとつに絞ることは避けたい。
原爆開発に携わった自身の研究が無に帰したことに対する悲嘆。
人類を狂わせる放射能との決別。
国内での需要がなく、引き継ぐ者もいなかったという現実。
死後に技術が改変され、意図せぬ方向へと向かうのを防ぐため。
そして何より、自分の跡を追ったがために早世した息子への愛と後悔が、一貫してそこにあったと私は推測する。
というのも、彼の跡を追って原爆開発に関わり、志半ばで死去したご長男の話題が、資料のどこにも出てこないのである。
無念の記憶として繰り返し出てきてもよさそうなのに、ご遺族も明言を避けておられる。
意図的に避けたとしか思えないのだ。

一昨年、夢で飯盛博士と歩いた石川県の海岸。
彼の地に石を愛する一人の男がいた。
飯盛博士の業績を評価し、辿ってこられた人物でもある。
今回の記事を記すにあたって、氏がお集めになった貴重な資料を参照させていただいた。
氏の盟友であるあの岩石岩男氏が、このご縁を繋げてくださった。
鉱物を愛する勇敢なハンターであるお二方、そして全世界の偉大なる父上に、恭敬の意を表する。
2012年、80歳になったアメリカの父に贈った京都の桜石(アイオライト仮晶)の写真を最後にご紹介させていただく。

思えばこのブログを始めたのは、自然が創り上げた鉱物が、自然には存在し得ないほどの放射能によって容易に変化することを危惧したのがきっかけだった。
ヘリオドールクンツァイトモリオン、或いは放射性鉱物。
大自然の恵みであるはずの鉱物に、人類の狂気が関与しているという悪寒。
我々は、放射能の恩恵に与り、原子力を頼って生活してきた。
それを問う結果になったのが、2011年3月に起きた、福島での原発事故。
昭和二十二年、疎開先の福島で博士が原子力の可能性と限界を示唆していたことは前々回に引用させていただいた。
博士の危惧は現実となった。
事故後の混乱が落ち着きを見せ、原子力の限界が問われている今、博士の遺志を伝えることは無駄ではないと信じている。
ヴィクトリアストーンは、福島の地から生まれた。

米軍により、放射化学研究が禁じられたのち、飯盛博士は疎開先の福島県で、陶磁器の技術を「暇つぶし」のために学んだとされる。
終戦の年、博士は新たな研究を進めるために、福島県会津、及び相馬の地を訪れた。
その後、陶磁器をつくる過程で、ヴィクトリアストーン誕生のヒントとなる特異な物質を発見されたというエピソードが残っている。
私は意図的に進められたものと推測する。

博士がどのような理由で、どのような経路を経て会津と相馬の二箇所を訪れたのかは、現時点ではわからない。
当時彼が疎開していた福島県石川町からはいずれもかなりの距離があるし、方角的に離れすぎている。
ある方のご意見を聞き、なるほどと思った。
相馬には、海がある。
もし彼が海を見たとするなら、故郷・石川の海を思ってのことかもしれない。
その海は現在、放射能に汚染され、近づくことはできない。
相馬には、相馬焼という伝統工芸が存在したようだが、先だっての原発事故の影響で壊滅状態となっている。
博士がヴィクトリアストーンの開発にあたって技術を拝借したのは、相馬焼に間違いないはずだ。
原発事故後、相馬を南下することは堅く禁じられている。
つまり、ヴィクトリアストーンの始まりの地は、関係者以外が立ち入ることのできる、最後の土地ということになる。
置き去りにされた街に、置き去りにされた人々の姿を、私は忘れることができない。
私の知る限りでは、福島のもたらした電力を当たり前のように利用していた関東の人々にとって、福島の人々の現状は空想であり、全くの他人事であった。
同じ日本人の現実として、ただ受け止める。

※当時の記事に興味のある方は是非。南相馬市の様子です。
http://usakoff.blogspot.com/2012/05/blog-post_11.html

原発事故は先人の過失だと叫ぶ者が現れた。
夢でお会いした博士の険しい表情の意味を、私はここに書きとめておきたいと思った。
飯盛博士が槍玉にあげられるのは時間の問題であった。
あらゆる伏線が敷かれていたのに、我々はその警告に気づくことなく、最悪の結果を目の当たりにすることになった。
博士の死後三十年間、誰もそのことに気づかなかったのだとしたら、私はここで警告する。
事故は、起こるべくして起こったのだと。

ヴィクトリアストーンを完成させた飯盛博士にもできなかったことはある。
この石の真の価値を日本に定着させることである。
皮肉にも今、ようやく陽の目を見たヴィクトリアストーン。
本当にこれでよかったのだろうか。
私は問い続ける。

2013年、初夢に博士は現れなかった。
今、博士の無念は晴らされたものと私は信じている。
永遠の自由を得られたことと、信じている。
長い人類の歴史において、原子力の時代が始まってから、まだ百年経っていない。
しかしながら近い将来、多くの犠牲を伴って終わりを迎えることは明白である。
もうこれ以上犠牲者を出してはならない。
最後の警告として、受け入れようではないか。


思うにこれからの人類繁栄を約束する
あの原子力や放射性同位体、
そしてわれわれ人類の死活を
一瞬にして決せんとする
あの恐ろしい鍵の一つを握る放射化学よ!

筆者はそなたが
わずか半世紀の間に
こんなにもすばらしいものになろうとは
夢にも予期していなかった。

しかし願わくば
今後の放射化学は
絶対に心なき人々の手に委ねてはならない。
気違いに刃物といっても
この場合は
全人類の絶滅を意味するからである。


(『放射学と放射化学 化学と工業』vol.13 (1960) 飯盛里安)




おわり

2011/11/15

幻のアイオライト


幻のアイオライト
Hematite & Pinite in Cordierite
Akland, Aust-Agder, Norway



長い間正体のわからなかった石。
アイオライト×サンストーン×フェルドスパーの名前で売られていた。
オレンジ、レッド、パープル、ブルーグリーンの鮮やかな色合いが混在し、ヘマタイトのインクルージョンがキラキラ輝くさまは、スペイシー&サイケデリック。
同じ頃に登場した、ヘマタイトのインクルージョンを含む "アイオライトサンストーン" のほうはパワーストーンとして認知されるに至ったが、こちらのほうは消えてしまった。

産地はノルウェー。
高速道路の工事中に発見され、その完成とともに姿を消した幻の石。
アイオライト、サンストーン、フェルドスパーの3つの鉱物から成り、3つの鉱物の相乗効果で、サードアイとクラウンチャクラを活性化させ、シャーマニックな感性を刺激する。
どこかで聞いたことのある謳い文句である。

フェルドスパーとは長石のこと。
サンストーンは、大雑把にいうと、長石に含まれた微細なヘマタイトが光の反射を受けて輝く(アベンチュレッセンス)ものをいう。
しかしこの石の場合、アイオライトに含まれたヘマタイトのアベンチュレッセンス。
主役はフェルドスパーではなく、アイオライトではないか。
素人ゆえ、それ以上の追求は避けた。

このさい、折角の機会なので調べてみた。
もしかすると正体はコレ?
http://www.mindat.org/photo-264888.html

文中ではコーディアライト(アイオライトの鉱物学名)の一種として紹介されている。
ノルウェーからは美しいコーディアライトが産出する。
2002年、道路工事の際に、コーディアライトの変種とみられる鉱脈が何箇所か発見された。
その中にレッド、バイオレットブルー、グリーンの組み合わせを持つ岩石があり、研磨品となって流通した、とある。

この石の正体についてまとめると、ベースはアイオライト・サンストーン。
グリーンの部分はピナイト(Pinite/ピニ雲母)。
ピナイトのインクルージョンによる淡いシラーが、この石の輝きをよりいっそう引き立てていると考えられる。

ピナイトとは、アイオライトの仮晶にあたる鉱物。
アイオライトはしばしばピナイトに変化する。
聞きなれない名前だが、実は国産鉱物にその姿を見ることが出来る。
京都府から産出する桜石がまさにそれ。
桜石とは、京都府亀岡市(及び京都府南部など)の岩石中に生じる青緑色の結晶で、「菫青石(アイオライト)仮晶」として天然記念物に指定されている。
母岩から分離したものを千歳飴のようにスライスすると、石に咲いた桜の花のように見えるため、当地の郷土品として古くから知られている。
お世話になっている鉱物店のオーナーと昨日お話していて、桜石が話題となり、それがアイオライトに属することを知ったばかり。
私はあの石がどうしてもダメなのだ。
京都=桜とかマジ勘弁して欲しい。

「京都っぽさ」を求めて全国から人々が集まる。
住んでいる人間にまでそのイメージを当てはめようとする人たちがいる。
舞妓さん芸妓さん神社仏閣紅葉花見侘寂陰陽師殺人事件アカデミックアングラアヴァンギャルド一見さんお断り…
京都出身の自分には、違和感がある。
実は鉱物の聖地としても知られる京都。
お守りに桜石を持ち歩いている京都の人間を私は見たことが無い。

絶対に触れてなるものかと、心に決めていた。
おそらくもう手元にあって、私はそれをずっと大切にしていた。
他に見かける機会はなく、この石の正体がはっきりわかったわけではないが、遠くノルウェーから届いたこのアイオライトは、桜石の親戚にあたる鉱物だと考えられる。
灯台もと暗しとは、こういうことを言うのかもしれない。


40×36×22mm  37.01g

今週、話題性が確認された10の鉱物

What Mineral Would You Take with You to A Deserted Island?