2012/07/18

シャッタカイト/カルサイト


シャッタカイト Shattackite
Kaokaveld, Kunene Region, Namibia



美しいブルーの希少石、シャッタカイト(シャッツク石)。
以前水晶に内包されたものをアップしたが、こちらは水晶でコーティングされたもの。
ざらめのような細かい水晶の粒が、水色に染まっている。
シャッタカイトに独特の、ボール状の結晶形の名残りがみられる。
大きなカルサイト上に2箇所、水晶に彩られたシャッタカイトが顔を覗かせる、面白い標本。

シャッタカイトを知ったきっかけは、ナミビアから産出するというクォンタムクアトロシリカ(→写真)というヒーリングストーンだった。
クリソコラ、マラカイト、シャッタカイトが石英に入ったという鮮やかな色彩のその石は、タンブルに磨かれて広く流通した。
その後、シャッタカイトは入っていないという話になったため、動揺した方は多かったはず。
私はシャッタカイトの名に惹かれて入手したも同じだった。
ではあのブルーはなんだったのか。
現在も真相は明かされていないようである。

シャッタカイトは1914年、米・アリゾナ州でマラカイトの仮晶となって発見された銅にまつわる鉱物。
銅を含む石として有名なのは、シャッタカイトの他にマラカイト、クリソコラ、アズライト、ダイオプテーズ、ターコイズ、キュプライト、アジョイト/パパゴアイトなど。
銅の二次鉱物として最も一般的なのはマラカイト。
古い十円玉に発生する緑の物体(緑青/ろくしょう)は、実はマラカイトである。
上記の鉱物がマラカイトと混在して発見されることは多い(例:アズライトマラカイト、マラカイトキュプライト、エイラットストーン、ターコイズもそう)。
クォンタムクアトロシリカに含まれる青についても、上記のいずれかに該当する可能性はある。
名前が挙がらないということは、銅の類いであったに違いない。

アズライトとマラカイトなのか、シャッタカイトとマラカイトなのか、素人には見分けがつかない。
シャッタカイトがアジュラマラカイトと誤解されているケースよりむしろ、とりあえず青いからシャッタカイトと呼ばれているケースのほうが多いような気がしてきた。
ターコイズカラーのシャッタカイトも研磨されて流通している。

標本の産地はシャッタカイトが発見されることで有名な土地。
特に石英と共生して発見される標本は高い人気がある。
強いバイブレーションを持つ霊的存在としてヒーリングの世界で珍重されているシャッタカイト。
そのバイブレーションが本物かどうか、今一度確かめる必要がありそうだ。




50×43×30mm  43.98g

2012/07/15

パライバクォーツ


パライバクォーツ
Medusa Quartz (aka Paraiba Quartz)
with Gilalite Inclusions
Juazeirio Do Norte, Ceara, Brazil



涼しげなミントブルーが美しい。
水晶にギラライト(ジラライト/ギラ石/ジラ石)という鉱物が入り込み、明るい水色に染まっている。
2005年にブラジルのパライバ州で発見され、その色合いがパライバトルマリンを思わせることから、一般に "パライバクォーツ" と呼ばれる水晶である。
原石には不純物の混在が認められることが大半。
そのため、ギラライトの様子がよく見えるよう、カットされて流通している。
発見されたのは全部で10kgほど、既に枯渇している。
全盛期には仰天価格を更新し続けたこの石、質の低下により一気に値を下げ、身近な存在となった。

ギラライトは1980年にアリゾナ州で発見された非常に珍しい鉱物。
日本語表記はまちまちで "ギラ" とするか "ジラ" とするかは人によって異なる。
この水晶に関しても、「ギラライト・イン・クォーツ」「ジラ石入り水晶」といった複数の呼びが存在するため、混乱を招いている。
希産鉱物ならではの扱いの難しさというべきだろうか。
宝石としては「メデューサクォーツ」が正式名称とされる。
パライバトルマリンとの混同・誤解を招くという懸念から、米国宝石学会GIAによって設定された。
もし、見た者を石に変えてしまうという怖ろしい怪物・メデューサを思い浮かべた方がおられたら、安心してほしい。
ここで使われるメデューサとは、クラゲのこと。
水晶に浮遊するギラライトが "Medusas Rondeau" というクラゲを想起させるのが名前の由来だという。

ギラライトの呼び名がかえって混乱を招くこと、メデューサクォーツの名は国内では一般的ではないことを踏まえ、ここでは日本での主な通称であるパライバクォーツの名で統一させていただこうと思う。

パライバクォーツにもいろいろある。
一般には、青や緑のボール状に結晶したギラライトの浮かぶ透明水晶を指して使われる。
メデューサクォーツの名の由来となった、クラゲが浮遊するかのような幻想的な光景は、世界中の愛好家を熱狂させた。
いっぽう、写真のようにギラライトを多く含み、パイナップルのような針状の模様が並ぶ石も稀に存在する。
初期に僅かに流通したタイプで、一目で気に入って購入した。
私が鉱物に興味を持ったのが、まさにパライバクォーツの全盛期。
規則的なパターンが規則的に繰り返されるさまは、パライバトルマリンとはまた違った面白さがある。
今調べたら、過去に最も貴重とされたのはこのタイプらしい。
現在は、透明水晶に水玉の浮かぶ石がベストとされている。
なお、上記の特徴を持たず、水晶全体または一部が水色に染まり不純物を伴う場合、宝石とは認められず、カットされることもない。

パライバトルマリンの発見されたパライバ州から見つかったというエピソードは実に面白い。
数個の水玉が浮かぶ程度では、パライバカラーには見えない。
かといって不純物だらけでは美しくない。
つまり、パライバクォーツの命名に関わったのはこのタイプで、産出の激減に伴い一般的となったクラゲタイプに因み、メデューサクォーツの名で定着したのではないかと勝手に考えている。

参考:無理やり感が否定できないパライバクォーツのブレスレット
http://www.hs-tao.com/cart/shop/shop.cgi?No=5771

すごいブレスだ。
アジョイトと言われてもわからない。
ここまで根性を見せ付けられると、圧迫感すら感じてしまう。
手にされるのはどんな方だろう。
ある意味究極のレアアイテム。
やがて消えゆく運命にあるこの石が存在した記録として、いつまでもそこで輝いていてほしい傑作である。


17×8×3mm  4.53ct

2012/07/13

サイババ・アッシュ


サイババの聖なる灰
Satya Sai Babas Sacred Ash
Babas Ashram, India



3日前、携帯電話が消えた。
朝起きたら消えていた。
私はよく物を失くすが、携帯電話は失くしたことがなかった。
幾度も消滅の危機に晒されながら、奇跡的再会を果たすこと数回。
今や携帯電話の無い生活など、考えられなくなった。
自分だけの問題ではない。

思えば、不思議な携帯だった。
ネットは基本つながらない。
電話も頻繁に、途切れる。
月蝕を撮ろうとしたらUFOが映っている。
私の人生初の水没事故から生還し、私の身代わりに誘拐される(!)などの過酷な試練を耐え抜いたあの携帯電話は、確か昨年の震災の翌日 前日に発売された。
ネットがたまにしか繋がらないから、表示されるニュースは5日くらい同じ内容。
震災のことも、原発事故のことも、ずっと後で知った。
ただあの携帯は、テロリスト殺害のニュースを誰よりも早くひろった。
また、日本では地味な扱いだった、サイババ死去のニュースを誰よりも早く伝えたことを、今でも不思議に思っている。

2011年4月24日、インドのサイババが亡くなった。
日本は未曾有の震災の混乱の中にあって、話題に上ることは殆どなかった。
インドでは特に悪い噂は聞いていない(ダライラマのお弟子さんには会ったが、サイババのほうはご縁がなかった)ので、現地でどういう扱いだったのかはわからない。
エスニック雑貨店には今でも、サイババをモチーフにしたシールやお香、ポスターなどが並んでいる。
インドではアイドルやスポーツ選手のほか、神様や聖人をモチーフにした尊いアイテムが好まれる。
助けてくれる神様ばかりではないのは皆さまもご存知の通り。

先日倉庫から、興味深いものが出てきた。
鉱物ではない。
写真にある、サイババが奇術により宙から取り出すという、聖なる灰の入ったペンダントである。
このペンダントのイレモノ自体は市販されていて、複数の種類の石を持ち歩きたい海外のクリスタルヒーラーの間で人気がある。
まさか、サイババの灰を入れる人がいるなど、想像していなかった。
出処は海外、今から4年ほど前になるだろうか。
クリスタルヒーラーとして長年活動されている方で鉱物の知識もある。
日本人のように灰にご利益を求めることもない。
これは面白い、という不純な動機で譲っていただいた。
灰ならば鉱物に含まれるのかもしれないが、サイババの身体の一部なら有機物?
無人島に持っていきたい有機物?
今となってはもうサイババが取り出すことのない、希少物質ということでお許し願いたい。

サイババの聖なる灰のペンダントがイギリスから届いた。
袋に小分けにされた灰も付けてくださった。
お香を焚いた後にのこる灰のような、心地よい香りと絹のような手触りは、周囲の人々のいう「人を騙して名声を得、金儲けに夢中になっている男」とはかけ離れた清浄な印象だった。
どなたかに笑いと共にお届けするつもりだったが、いつの間にか私の宝物となっていた。
単にお香が好きだからかもしれない。
それ以来、私はサイババに対して否定的になれないでいる。

サイババの死去を伝える記事を先ほど見た。
震災直後だけに、ニュースとしての扱いは地味。
現実との闘いだった我々の目に、サイババがオカルトとしか映らなかったのも無理のないこと。
トリックの図解や分析は当たり前、 "あやしい能力を使って手から粉を出してみせる億万長者" としてのサイババの死が伝えられていた。
ただでさえサイババの評判は悪かった。
聴こえてこなかったが、なんとなく想像できた。
資産の使い途から察するに、もともとの身分は高くなかったのかもしれない。
成金っぽいところはあったのかもしれない。
日本での震災前後には既にお悪かったようで、義援金の件で話題になることもなく、私たちの記憶から消えてしまった。
サイババの顔はマイケル・ジャクソンに少し似ている。
ファンの方には申し訳ないのだけれど、どこか共通するものがある。
スピリチュアルというより華やかに見えてしまうのも、マイナス要素のひとつかもしれない。

サイババが莫大な資産を慈善事業に投じたとあるが、これも誤解を生む表現に思う。
日本ではそれがパフォーマンスに過ぎないこともあるが、インドにおいてはむしろ当然のことなのだ。
金銭だけでなく、日常風景に垣間見ることのできる、ヒンドゥ教に独特の世界観である。
その日の飯代のために、切符の購入代行業者が長い行列に分け入っても、文句を言わない人たちがいる。
長距離を走る夜行列車の指定席に強引に座ろうとする切符のない人間に、黙って席を明け渡す人たちがいる。
インドでは裕福な者が貧しい者に施すのは神のおしえ。
貧富の差が生まれつき決まっているから、宿命的なものなのだ。
インド人は、神に誠実であることを行動で示し、非暴力を尊び、カースト社会を生きる。
もちろんインドの抱える人口分の犯罪者がいるから、絶対ではないことを忘れないで欲しい。
私ならば、金と名声のためではなく、人を微笑ませ、希望をもたらすためにトリックを使うだろう。

インドの修行者を極めて現実的に描写している興味深い例:
http://chaichai.campur.com/indozatugaku/sadhuqa001.html

ここではサドゥと呼ばれるインドの修行者について、神秘を打ち砕くかのような内容が具体的に語られている。
私のような者が偉そうに評する立場にないことはわかっている。
筆者はずいぶん修行者に近い生活をされたと思われるから、及ぶわけが無い。
ただ、ホンモノらしき修行者を、偶然に私は垣間見てしまった。
私がその場で見て感じたことに非常に似ている。

かつてインドを旅したさい、私は144年に一度とされる大祭に出くわした(※その手の祭もたくさんありそうだが、調べた限りでは宗教行事としては世界最多の参加者を記録したとある)。
マハ・クンブメーラと呼ばれるその祭りには、インド各地から修行者が集まる。
集まると言うより、もはやガンジス河が修行者に埋め尽くされてよく見えない。
いろいろなタイプの修行者がいた。
神秘でもなんでもない。
インドにおける信仰とは文化であり、日常であり、生きることそのものなのかもしれない。
批判を承知の上で、あえて上から目線で書くならば、外国人がサイババの超能力が本物か否かを主題にするのは、価値観の違いを考慮しない未熟さの顕れに過ぎない。
ガンジス河のほとりで生活する "観光客向け" のインド人修行者に対し、外国人は闇雲に神秘を求めるか、まがいものと笑う。
彼らが生活するために修行しているのは明らか。
現地の人は何も言わない。
そうやって楽をして暮らしていくことに腹を立てたり、羨ましいと思うそぶりもない。
ホンモノかニセモノかを見分けるという発想すらないように見えた。
修行者もまた、施しを受けて生きる運命にある。
同時に崇拝の対象でもあるというのは我々にはない感覚だと思う。
上記のサイトにおける、サイババとサドゥは広い意味では同じ、という一節は興味深い。
サイババが特殊な宗教団体の指導者として君臨したというより、奇跡により出現したと信じたくなるような世界が目の前に確かにあった。
その後の経済的成長はインドを確実に変えたはずだから、晩年のサイババについてはわからない。
状況はむしろ好転したようだ。
サイババは施しを受けると同時に、施しをする立場にあった。
奇跡の人ではないかもしれないが、嘘になることは無かったはず。
もしあるとするなら、サイババに過剰な神秘を求めたか、まがいものと笑いたかったのだろう。

Wikipediaにおいては、さまざまな角度からサイババという人物について述べられている。
サイババに興味のある方は一読いただきたい。
私がインドを訪れた2000年冬、サイババはまさに試練のときにあったようだ。
国際的非難を浴びながらも、その信念は揺らぐことなく、現実とともに存在した。
インドでは国葬という形でサイババの死を惜しみ、敬意を表したものと信じたい。
サイババに対する誤解を解くという意味を込めて。

気になることがある。
今となっては激レアなはずのサイババの聖灰が、ここにきて国内で流通しはじめた模様。
サイババが出したとは書いていないが、そう受け止める人もいるかもしれない。
スピリチュアル・ムーブメントの高まりのせいだろうか。
真実は誰にもわからない。

このペンダントが、サイババのまた別の姿を垣間見る機会を与えてくれたのは事実だ。
私は物を消すという奇跡を起こしがちな宿命のもとに生まれたのだと信じることにする。
できることなら、もうインドには行きたくない。
それはきっと人生で最も不幸なときだから。
もしインドに究極の幸せがあるなら、インドから日本に働きに来る人などいない。
日本に神がいないからといって、インドの神々が助けてくれるとは限らないからだ。


30×5mm(本体) 計4.46g


携帯電話は本当に消えてしまいました

2012/07/08

スファレライト


スファレライト Sphalerite
Las Manforas Mine, Picos de Europa National Park, Cantabria, Spain



閃亜鉛鉱の名でも知られるスファレライト。
主にコレクション用のカットストーン(ルース/宝石)として流通していて、ビーズなどに加工されることはない。
希少石ながら世界中から産出があり、色合いはさまざま。
他の鉱物と共生することも多く、その魅力は一言では語りつくせない。
スファレライトは黒褐色の塊であることが一般的だが、スペインから産出したこの宝石質の標本は、鮮やかな色彩とメタリックな光沢を特徴とし、世界中の収集家から愛されている。
宝石質のスファレライトは、かつて日本からも発見され「べっ甲」と呼ばれ親しまれていたそうだ。
いずれも採掘は終了している。

鉱物に興味を持ち始めた頃、真っ先に注目した石のひとつ。
なんでも、古くから「霊力を高める石」として、世界各地の民族の間で儀式に用いられてきたらしい。
感性を高め、メッセージを受け取りやすくする力はなんとなく欲しい。
なんと、思考の偏りを正す力もあるというから、ひねくれ者の自分には最も適したパワーストーンである。
それまでは黒褐色のスファレライトしか入手できなかっただけに、ようやくこの標本を入手したときは、嬉しくてたまらなかった。

ところがある日、異変は起きた。
標本を取り出してみたところ、衝撃的な事態が発生していた。
なんと、表面に無数の暗灰色の結晶が発生しておるではないか。
結晶の一部は陥没しており、手の施しようがない状態だった。

本文下の写真を見ていただきたい。
左がビフォー、右がアフター。
当初見られなかった付着物で覆われている。
しばらく立ち直れなかった。

譲ってくださった方に問い合わせてみた。
閃亜鉛鉱が変質を起こすことは滅多になく、長時間水に浸しても変化するのは稀、とのこと。
何かしらこの石に緊急事態が発生したのは間違いないようである。
今までこのようなことはなかったために、油断していた。
左と右の写真の違いといったら!
原石というのは一点物。
もう一回探そうとして、あきらめた。
それから一年近く経つが、同じような雰囲気をもつ標本は見ていない。

以前も記したが、天然石=天然、だから安全とはいえない。
いわば天然の化学物質だから、化学変化は起きる。
珍しい鉱物を身につける場合は、どんな要素で出来ているかを十分に確認し、思わぬ事故を防ぎたい。
浄化の不手際や霊的予兆を疑うのは最後でいい。
しかしながらこれは最後まで原因がわからない。

ひねくれ者にはこのようなメッセージが届けられるということ?




34×22×15mm  25.53g

2012/07/04

コスモクロア(マウ・シット・シット)


マウ・シット・シット
コスモクロア
Kosmochlor(Maw-Sit-Sit)
Tawmaw, Myitkyina-Mogaung, Kachin State, Myanmar



明るく、深みのある緑が印象的な鉱物。
ミャンマー・カチン州名物のこの石は、産地の名に因みマウ・シット・シットと呼ばれている。
鉱物としては、コスモクロア(ユレアイト/宇宙輝石)を主成分とする混合石にあたる。
ひすいやネフライト(ややこしい)、クローライト、アルバイトなどの鉱物と共生した状態で発見されるという。
本来なら希少石に分類されるところだが、流通は比較的多い。
どこからどこまでをマウ・シット・シットと呼ぶかについては、意見が分かれるようである。

写真はマウ・シット・シットの現地カット品として、5年ほど前に譲っていただいたもの。
濃厚な緑に黒が混ざり込み、まるでスイカのようなユニークなカットに仕上がっている。
私が希少石に興味をもつきっかけとなる大先輩から譲り受けた、思い出の一品。

私がこの石を知ったとき、「マウ・シット・シット」はあくまで流通名であり、正式名は「ジェード・アルバイト」であると説明がなされていた。
しばらくして、どうも違うっぽいということになる。
マウ・シット・シットの名で呼ばれ始めたのは知っていたが、鉱物名として定着していたことは知らなかった。
現在はコスモクロアと呼ぶのが一般的となっている。
2年ほど鉱物の世界を離れていたため、以下は推測になる。

ミャンマー語はわからないが、ミャンマー語をカタカナ読みするのが難しいというのはわかる。
マウ・シット・シットのほか、マウシッシ、マウシッシッ、モーシッシ、モウシシなど、表記は統一されていない。
モシッシシ、マーウッシッシーと読んでいた方もおられるかもしれぬ。
この石の知名度が急上昇した背景に、コスモクロアという名前への切り替えがあったような印象は受ける。
名前の親しみやすさ、宇宙から来た鉱物というエピソードは、人を惹きつける魅力にあふれている。
しかし、マウ・シット・シット=コスモクロア、ではなかったはず。
大雑把に図解すると、

コスモクロア<マウ・シット・シット<ひすい


となる。
混合鉱物の扱いは難しい。
現在もジェード・アルバイトの名で呼ばれていたり、ひすいに分類されてしまったり(正確にはひすいの一部)、クロロメラナイトという類似の鉱物と混同されているケースもあることから、コスモクロアの呼称にまとめるのは合理的。

コスモクロアの発見は1897年。
隕石中から見つかった未知の鉱物だった。
その神秘的ともいえる発見に因み、「宇宙の緑」を意味するコスモクロアの名を与えられた。
1984年、地球上にも同じ鉱物が存在することが明らかになった。
ミャンマーのマウ・シット・シットからコスモクロアが出てきた。
そういう流れらしい。

かつて正式に紹介された、マウ・シット・シットという呼び名については、疑問を拭えずにいた。
コテコテの日本人である私には、発音のミスが命取りになるとしか思えない呼称だからである。
英語圏でもこの名称は使われているから、許容範囲内なんだろう。
いっぽうで、「マウ・シット・シット」と唱えると、宇宙意識を直観することができるという記事を国内にみかけた。
これはさすがに奇妙である。
世界にはカルピス(※注1)しかり、ネズミのアレを予感してしまう人のほうが多いのでは。
コスモクロア/宇宙輝石という美しい名前にインスピレーションを受けただけという理由なのであれば、例のごとく注意を促しておかねばなるまい。

※注1:カルピスが倫理的問題から米国でカルピコとして販売されているように、Maw-Sit-Sitという言葉には、深刻なトラブルの元になりかねない要素がある。
ミャンマーの知名度の問題か、欧米諸国でのこの石の取扱いは少ないのだが、一部では "Maw-Si-Si" という表記に変更がなされている。この名称が国際的に定着してしまった背景について考えてみるのも面白そう。


日本の鉱物界に名を遺した偉人、益富寿之助博士。
コスモクロアにまつわる、益富博士のエピソードは非常に興味深い。
ひすいが産することで有名な新潟県糸魚川市から発見された、ひすいのような緑の鉱物。
博士は、それがコスモクロアであることにお気づきだったらしい。
当時、地球上にコスモクロアが存在することは、まだ明らかになっていなかった。
博士の死からわずか4年後の1997年、その緑の鉱物がユレアイト(コスモクロア)であったことが、ようやっと発表されるに至ったとのこと。

参考:日本でも発見されていたコスモクロア
http://www2.ocn.ne.jp/~miyajima/detail-menu2/min107-kosmochlor/kosmochlor.html

宇宙から来た鉱物というイメージが先行する中、それが既に地球にあったことを博士は見抜かれていた。
世界的な発見を前に、堅く口を閉ざされたことに対しては、激動の時代を生き、日本の発展に貢献された昭和の研究者たちの生きざまを想うのみ。
鉱物を愛し、地学研究に生涯を捧げた益富博士の深く鋭い眼差しが、時を超えて伝わってくる。
氏の活動拠点となった京都に生まれ育ちながら、お会いすることは叶わなかった。
どこかで益富博士とすれ違っていたかもしれない、と思うときはある。
この石にはきっと、遥かなる宇宙のロマンが刻まれている。

財団法人益富地学会館:
http://www.masutomi.or.jp/


43×12mm 8.53ct

2012/07/03

ゴールドシーンオブシディアン


ゴールドシーンオブシディアン
Golden Sheen Obsidian
Chihuahua, México



突然にして、金色の輝きが浮かび上がる黒耀石。
ゴールドシーンオブシディアンと呼ばれていた。
他に銀色のシーンの現れるシルバーシーンオブシディアン。
以上の二種類がある。
大好きだったこれらの石に、ここにきて強い違和感を覚えた。
まだ流通があるにも関わらず、お探しの方が多すぎる。
卸価格は異常なまでに高騰している。
いっぽうで、ゴールデンオブシディアン、ゴールデンシャインオブシディアンなどの名称で、金色の黒曜石が安価で大量に流通している。

これらがいったい何を意味するのかわからないまま、月日は過ぎていった。
二種類をおすそ分け、として用意させていただいたことがきっかけで、その違和感の正体が明らかになったので、報告したい。
高騰の折、なぜ意地になってまで用意したのか。
自分にも理由はわからない。
ゴールド/シルバーシーンオブシディアンの持ち主様は見つかった。
かねてからお持ちの石に違和感を感じておられたという持ち主様からお話を伺った。

現在、ゴールデンシャインオブシディアンの名で流通のある黒耀石をよく見ると、これまでに無かった透明感があるように見える。
アリゾナ産のアパッチティア(アパッチの涙)と呼ばれる黒耀石に似ている。
アパッチティアにシーンが浮かぶという話は聞かないし、私の手持ちを見た限りでは、透明感は無いはずだった。
また、かつてのように黒い石に突然輝きが浮かび上がることはなく、石全体が金色に染まっている。
どうも、以前とは全く違うものが流通しているのではないか。
私が思い描いていたのは、一見すると黒く不透明な黒耀石。
角度を変えると、写真のようにゴールド、またはシルバーのシーンが劇的に浮かび上がる。
もし、透明感があり、ゴールドの輝きが常に見えるのだとしたら、別物ということになる。
シルバーシーンオブシディアン(後日掲載します)に至っては、現在行方不明である。

持ち主様に現物をご確認いただき、お手持ちの石とは別物であったというお返事をいただいた。
全く予想していなかった結末だった。
3年位前には、ビーズに製品化されるほどの流通があった。
入手困難だったレインボーオブシディアンについては状況はむしろ好転していて、良質なビーズの流通が増えているから、盲点だった。

ゴールド/シルバーシーンオブシディアンは、いつの間にか市場から姿を消した。
ゴールドは代替品に切り替えられ、シルバーは初めから無かったことになっている。
正式に発表された情報ではないから、詳しいことはわからない。
もし同様の疑問を抱いている方がおられたら、そうお答えするほかない。
私にはもう扱えない。
消えゆく石を独占したいという欲望に支配されるようなことがあれば、どういうことになるかはわかっている。

残りあと僅か!

私たちはあちこちでこんな謳い文句に出会う。
本当に残り僅かな場合は、業界は慎重になる。
物事にはやがて、終わりが訪れる。
この石については、絶産の噂は無かっただけに、希望は捨てきれない。
春のオークションで、ラストに紹介させていただいた、オールドストックのシルバーシーンオブシディアン。
記録がまだ残っていた。
恐縮ながら、最後に自分の言葉足らずな説明文を引用させていただこうと思う。


"オブシディアン(黒曜石)に、稀にゴールドやシルバーの色合いが浮かび上がることがあります。
ヴェルヴェットと表現されることもある、奥ゆかしく神秘的な輝きです。
過去に流通がありましたが、末期におけるビーズなどは、色の乗ったオブシディアンでしかありませんでした。
ホログラムのように浮かび上がる幻想的なシーンは、幻となってしまったかのようでした。

自己破壊、自己攻撃を和らげるとして、アルコール依存症や拒食症の治療に用いられるというオブシディアン。
このシルバーの輝きが、暗闇を歩く人を照らす光にたとえられることもあります。
静寂の夜空に広がる星雲。
この石に何度救われたことでしょう。
それはきっと、絶望の中に確かに存在する、希望という輝きに似ています"


(2012年3月31日付 記)




37×26×22mm



追記:3年前のオールドストックのビーズが出てきましたので写真を差し替えました。これがおそらく現在主流となっているゴールデンシャインオブシディアンで、既にその頃から切り替えられていた可能性があります。というのも、本来のゴールドシーンオブシディアンのビーズの手持ちもあるからです。ラストの解説における末期のジャンク、というのは3年前の自分の記述からの引用ですが、このビーズを見たときにそう思ったのかもしれません。色はゴールドで輝きはなく、産地もわかりません。全く違うものであることは明らかです。(2012/08/09 追記)



今週、話題性が確認された10の鉱物

What Mineral Would You Take with You to A Deserted Island?