2012/03/02

アンデシン/うずら石


アンデシン/うずら石
Andesine
東京都小笠原村字硫黄島



硫黄島、南海岸に分布しているという、不思議な形の鉱物。
白い部分がアンデシン。
グレーの部分は溶岩に由来する。
その外観がまるでうずら(の玉子?)のようにみえることから、かつては現地の人々の間で "うずら石" と呼ばれ、親しまれたそうだ。
白いアンデシンが立体的に交差するさまは、どことなく十字石を思わせる。
過去には島で商業的に硫黄の採掘が行われ、島名の由来となったほか、この奇妙なアンデシン/うずら石の産地として、鉱物愛好家には知られた存在のよう。
なお、近年注目を集めている赤いアンデシンについては「アンデシン/ラブラドライト」に記した。

硫黄島(いおうとう)。
行政上の都合で東京都に含まれるが、都内からは見ることができない。
東京湾の遥か南、太平洋に浮かぶ小笠原諸島。
火山から成る小笠原の島々からは、興味深い鉱物が数多く産出することで知られている。
日本列島から南に向けて点在する小笠原諸島の南端に位置するのが、硫黄島。
東京からは約1200kmもの距離がある。
ちなみに、さらに約1200km南下すると、グアム島に着いてしまうらしい。
沖縄よりずっとずっと南にある、亜熱帯気候の島。
なのに、陽気な南の楽園といったイメージが出てこないのは、やはり戦争のせいか。

硫黄島は第二次世界大戦末期、多くの犠牲者を出した激戦地として有名である。
戦前は千人を越える日本人が生活していたが、現在、関係者以外の島への立入りは禁止されている。
故郷に戻ることの許されぬ元島民やその子孫、戦没者の遺族らが時折硫黄島を訪れ、うずら石を祈念に持ち帰るという。

不勉強ゆえ、硫黄島で激戦が繰り広げられていたことは知らなかった。
昭和二十年、米軍・日本軍あわせて5万人もの兵士がこの島で命を落した。
硫黄島は米軍の占領下に置かれ、1968年に我が国に返還された後、自衛隊の基地となっている。
日米両国による硫黄島での合同慰霊祭で、アメリカと日本の代表らが握手を交わし、平和を誓ったのは、80年代に入ってから。
戦没者の遺骨は現在も収容されず島に残されている(戦争についてはサッパリなので、詳しくはWikipediaを参照して下さい!)。

硫黄島の名前はよく聞く。
自分はどうも、兵士を乗せた船が沈没し、生き残った人々が流れ着いた島だと思い込んでいた。
この島をめぐる戦時中、及び戦後の蟠りについては全くの無知であった。
重い歴史を背負ったこの石を、何も知らない私が持っていても良いものかと悩み、社長さんにお話を伺ったところ、意外な事実が判明した。
実はこの標本、戦前から私の実家近くにあったとのこと。
不思議なご縁だった。
貴重品だから、スリリングだからと、怖いもの見たさで採りに行くようなものでは無いと思っている。
日米間を往復し、最終的には反日感情を抱くアメリカンと、世界平和について語り合うほどの構えが必要となろう。
うずら石はそれらをやり遂げたのち、ようやっと手にすべきものと心得よ。
誰コイツ?偉そうな奴だね。

さて、硫黄島のアンデシンは、稀にみるレアストーンなのかというと、そうでもないらしい。
南海岸がうずら石によって埋め尽されている状態だという噂も。
島に行くことさえできれば、素人でも短時間で採取が可能だそうだ。
ただ、写真の石とは異なり、花のように広がっている標本が多く見受けられる。
まるで黒い砂漠の薔薇。
中には空き缶のようにぺしゃんこになったものも。

小笠原諸島において、硫黄島が発見されたのは、記録の上では18世紀に入ってから。
日本人の入植が始まったのは1904(明治37)年頃とされている。
硫黄島には先住民族がいたというが、その時既に無人島と化していたようである。
無人島から持ってきた鉱物が、東京うまれ・地元育ち?
非常に興味深い現象かもしれない。


※なお、鹿児島県にも硫黄島と呼ばれる島があり、硫黄の産地として知られている。
同じく火山島であり、産出する鉱物も似通っているため、一部で混同されている様子。
薩摩硫黄島とあれば鹿児島県のほうになる。


14×11×8mm(最大)

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