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2013/01/15

パープルジェード(トルコ産翡翠輝石)


パープルジェイド
Purple Jadeite
Bursa, Marmara Region, Turkey



誕生日なのでご縁のある石をと思ったが、ここは変わり者のうさこふであるからして、私には最もご縁のないはずだった、類い稀なるレアストーンをご紹介する。

トルコからやってきたという、色濃いパープルの翡翠。
ネフライト(軟玉)ではなく翡翠輝石(硬玉)にあたるそうだ。
シリカ成分が入ってカルセドニーと化しているため、パープルの色合いがより上品かつ輝いて見える。
まるでスギライトのように神々しいお姿である。
宝石質の色濃いスギライトは石英を含んでいることが多いから、原理としては同じなのかも。

ネフライトか本物か偽物か(※注)といった議論で盛り上がることが多い翡翠だけに、私は長らくネフライトのほうに着目していた。
翡翠輝石のほうは盲点だった。
翡翠など高貴すぎて、自分にはふさわしくない。
この高貴すぎる紫の翡翠を偶然にも手にし、ふさわしくないにも程があると感じたため、誠に勝手ながら自分の誕生日にまつわるエピソードを中心にお送りする。


注)翡翠は翡翠輝石(硬玉)とネフライト(軟玉)に分けられる。中国で古くから珍重されたのは軟玉、つまりネフライト。その後ミャンマー産の硬玉が知られるようになり、翡翠として定着した。
日本では縄文時代より硬玉が知られ、宝飾品や魔除けなどに用いられたといわれる。新潟県糸魚川の翡翠は国産鉱物を代表する存在で、熱狂的ファンも少なくない。
日本では一般に、軟玉より硬玉のほうが価値が高いとされる。ネフライトは翡翠の偽物として避けられることもあるほどだが、欧米人の大半は硬玉と軟玉の区別をしない(できない)ので、要注意。


実は、昨日までこのエピソードを記すか記すまいかと、悩んでいた。
誰もが興味を持ってくださるような内容になるとは思えなかったが、これまで幾度も誤解を与えてしまっていたことがあったとしたら、誕生日にその原因を書いてみたいと思った。
ご近所にマイクのアナウンスが響く中、これを記している。

昨夜遅くのことだった。
私はまさに翡翠のことを考えながら、冷たい雨の中、帰路を急いでいた。
最後の曲がり角を過ぎたところで、道のずっと向こうに、見慣れない灯りが煌々と燈っているのが見えた。
どこかで見た、不可思議な光景であった。
それが人の死を意味する灯りであることは、百メートル離れていても伝わってきた。

実家の斜めお向かいの御宅に不幸があったとのこと。
翌日が葬儀とある。
私が数日前から虜になっているこのパープルジェイド。
この石を一目見てからというもの、私がずっと心に描いていた人物。
その人物の葬儀が行われた日もまた、私の誕生日だった。

自分はその人を先生と呼んでいた。
特別に偉いからとか、指導者だからといった理由ではなく、ただ純粋に、誰も言わないことを教えてくれたから。
悪くて結構、阿呆になるくらいがちょうどよい、広い広い世界のことを学んでみるといい。
そして、死はこわくない、と繰り返し私に語った。
ただそれがいつ頃で、自分がどういう状況にあったのか、長らくわからなかった。
小学校低学年くらいかと思い込んでいた。
昨年の春、古い資料が出てきて、ようやく記憶の謎が解けた。

私が先生と呼んでいたその人物は、宗教学者であり、英文学者であり、哲学者であり、翻訳家であり、仏僧という特異な経歴の持ち主であったらしい。
幼少期から教会に通って英語を学び、仏典を海外に紹介。
アメリカのキリスト教会より渡米して神父になるようスカウトされる(!)もきっぱり断り、僧侶として日本を生きた97年の生涯。
子供だった私はすぐに影響を受け、世界中のあらゆる宗教について学ぼうと意気込んだとみられる。

資料を見ておどろいたのは、先生の葬儀が行われた日が私の4歳の誕生日だったということ。
おそらく、周囲の人々がその事実を隠したのだろう。
つまり先生にお世話になったとき、自分は3歳、若しくはそれ以下だったということ。
死がタブーであることを思い知ったのは4歳のときだったから、その直後。
宗教がタブーであることを知ったのもその頃だ。
先日、縁あってお世話になった方から、自分に宗教心がある、という興味深いご指摘を受けた。
三つ子の魂百なんとやら、人間とは単純なものである。

事情があって、私は当時、家族と離れて暮らしていた。
親の顔も忘れていたほどだというから、周囲は同情的だったのだけれど、先生は私にいっさい同情しなかった。
先生の好奇心旺盛な瞳と強く響く声を今でも覚えている。
死はこわくないと教えてくれた先生は、ある時、突然いなくなった。
雪の中、長い葬列が続くさまをはっきり覚えている(※記憶では、途中から悪夢の集団下校に切り替わる)。

父のように慕っていたその人物について、ここで具体的に触れることは避ける。
自分の年齢がバレるからではない。
先ほど調べて、後に語られているその人物像に違和感を感じたからだ。
他の思想を遠ざけるべく、名前を利用されている。
或いは異端者のごとく扱われ、遠ざけられている。
信仰や思想、また国籍などを理由に他者を遠ざけることをしない、というのが先生の本質だと思っていた。
そしてつい先日知ったのであるが、日本國が迷信國となることを何より危惧されておられたという。
また「誰でも各種の災難や不幸に出逢うたならば、それは自分の種まきが悪かった報いであるから、潔く自分を反省して、さんげし、悔い改めて、これから、悪い心を起こすまい、悪い事をしないように決心して、自分の考えて、これが一番良いと思う方法をえらんで、事件を処理して行けばよい」とも申された。

以上のようないきさつで、今日はこの石を選んだ。
簡潔にまとめよう。
翡翠は私には勿体無いほどに高貴な石。
どちらかというと避けていた石。
まさか米からこんなものが手に入るとは思っていなかったし、何の期待もしていなかった。
そして産地であるトルコは、東洋と西洋の中間にあたる土地。
圧倒的な美しさは、先生が旅立っていったあの日、置き去りにされた私の気持ちによく似ている。

無宗教というおしえこそが、日本最大規模の宗教なのかもしれない。
先ほどふと、思った。
なお、我々が頻繁に目にするラベンダージェードのビーズは、本質的には着色を施された岩石である。






38×27×21mm  17.96g


2012/12/27

ヴィクトリアストーン【第一話】メタヒスイ


メタヒスイ Meta-Jade
Iimori Laboratory, Tokyo, Japan



このような石を造ってみて、ただ自分だけで満足している分にはよいが、
人に見せるとなると、あたまからけなされるのには驚いた。
人工で造った石など値打ちがないというのである。
そっけない話である。

天然の石だから貴いなら、
人間の頭だってそれこそ天然物中の最高のものであるから
その微妙な働きによる人造の石こそ
天然石以上に価値があるのだ、と力んでみたくもなろう。

(中略)宝石の人生における真価は
それを眺める人の心を
陶然無我の境に引き入れる
あの小さな石の偉大な魅力に在る
。」

(『合成猫目石とメタヒスイ 化学と工業』 Vol.13 No.4 (1960) 飯盛里安)


ヴィクトリアストーンを世に遺した化学者、飯盛里安博士。
ある方々のご厚意で、この謎の宝石の謎がさらに明らかになった。
自分の夢を頼りに書いた前回の記事(2011年12月~1月記)に、事実と異なる点がいくらか判明した。
何回かにわけて、ここに続編を記させていただこうと思う。

まず初めに、どうしてヴィクトリアストーンが日本に存在しないのか。
欧米、特にアメリカを中心に流通しているのか、という謎である。
飯盛博士が冒頭で力んで(りきんで)いるように、ヴィクトリアストーンは、実は日本では全く評価されなかった。
天然石を重んじる日本人にとって、ヴィクトリアストーンは "まがいもの" に過ぎなかったということであろう。
博士の死後、多くの原石は廃棄されてしまった。
ご遺族ももう、お持ちではない。
ヤフーオークションで日本を騒がせている珍宝氏(仮名)はご遺族から原石を譲り受けているとのことであったが、残念ながら彼は白昼堂々嘘をついたようだ。
本物へのこだわりは世界一、なのにいわゆるニセモノをつかむ人々が後を絶たない日本のパワーストーン市場。
日本人は、天然という言葉の魔力に弱い。
或いは石の魅せる「陶然無我の境」より、石の名前の持つ言霊に魅せられてしまうこともあるのかもしれない。

1960年代末、海外の宝石専門誌にヴィクトリアストーンが紹介された。
人造宝石・ヴィクトリアストーンはすぐに、世界的評価を受けた。
70年代にはツーソンショーでも大いに話題になり、噂を聞きつけた人々が買い求めたといわれている。
多くの原石がアメリカにあるのは、純粋にその美しさに価値を置かれたから。
つまり、ヴィクトリアストーンが日本にないのは、我々の責任である。
飯盛博士の存命中よりヴィクトリアストーンは世界に知られ、現在も高い人気がある。
いっぽうで日本ではというと、博士が力みたく(りきみたく)もなるほどに惨めな評価を受け、忘れられてしまった。
人造石の前提である、限られた輝き。
これはレシピの流出による量産を防ぐという意味では的を得ていたが、その業績を鑑みるとあまりに残念である。

実際のところ、つい最近まで、ヴィクトリアストーンは日本では全く知られていなかった。
後世に伝える可能性を感じる日本人は無かったのだろう。
国内で唯一その在庫を引き継いだ宝石職人も、どう扱っていいやらと途方に暮れたそうだ。
ヴィクトリアストーンはガラスであるとしている資料も少なくない。
放射化学の父と称される化学者・飯盛博士が人生を捧げた研究が、ガラスとは何たること。
私が4年前一目惚れしたヴィクトリアストーン。
当時は私自身、ガラスだと思うしかないほど知名度がなかった。
つまり「商品」としてではなく、純粋にこの石そのものに一目惚れした人は、日本にどれくらいいるのかということである。

写真はメタヒスイと呼ばれる人造石の原石。
飯盛博士の人造宝石における初期の代表作である。
その名のとおり、最高級の翡翠(ローカン)を模して製造された。
翡翠と同等の成分ではつくることはできなかった。
あくまで模造宝石としての翡翠であるが、この石が原型となって、奇跡の宝石が誕生した。
変彩性ヒスイ、すなわちヴィクトリアストーンである。
ヴィクトリアストーンは、このメタヒスイを特殊な技術を用いて成長させ、複雑な過程を経て得られる。

ヴィクトリアストーンは日本の伝統的色調に基づく色合いを備えている。
色数は15色程度とされているが、実際はさらに色数がある。
それぞれの色に意味があり、博士の愛情が込められているという。
しかし、赤だけが存在しない。
パープルやピンクなど、近しい色はあるのに、赤だけがどうしても完成しなかったらしいのである。
前述のとおり、ヴィクトリアストーンは世界的に評価を得ているが、現在に至るまで、誰もこの技術を真似ることはできていない。
近年流通しているヴィクトリアストーンが中国で模造されたものと私が推測するのは、存在しないはずの赤が含まれるからである。

ヴィクトリアストーンの原石は、アスベスト状の塊である。
このメタヒスイ同様母岩がついており、母岩の際に至るまで、躍動感にあふれるシャトヤンシー(キャッツアイ効果)がみられるのが特徴だ。
中国製のヴィクトリアストーンにはこの躍動感がみられない。
また、ヴィクトリアストーンにアスベストは含まれないが、中国から流通した模造品の一部は天然アスベストであった。

放射性鉱物の研究に携わってきた飯盛博士。
博士は、放射能と原子力の未来、或いは人類が侵される狂気について、察知されていたように思えてならないのである。
というのも、サファイアやルビー、エメラルドなどの高価な宝石は、放射線処理によって容易に改良することができる。
いっぽう、キャッツアイについては、いくら放射能をあててもつくることができない。
最も価値のある宝石と聞いて浮かぶのは、ダイヤモンドとキャッツアイだ。
人造ダイヤモンドについては、世界的に研究が進んでいた。
だから彼はキャッツアイをつくろうとしたのだろう。
そう、思っていた。
そうではなかったのである。

子供向けのアクセサリーや手芸の素材として知られるシンセティック・キャッツアイ(人工キャッツアイ)を考案したのは、実は飯盛博士らしい。
それまでは自然界に存在する手ごろなキャッツアイが加工されていたようである。
人工キャッツアイは現在、百均でも手に入る安物とバカにされておる。
中国に技術が流れたためである。
しかし、自然に存在する宝石を人の手で再現することは、人類にとって永遠のテーマだった。
多くの研究者が人生をかけて取り組んだ結果、実現し得たことを忘れてはならない。


では、日本において人工石が好まれないのはなぜだろう。
その要因のひとつとして、私は日本社会の特殊性を挙げたい。
日本では、万物に神が宿る、と伝えられる。
天然石に神仏が宿り、持つ人を守り導くという考え方は昔からあった。
アニミズム信仰(※注:コラムあり/ややこしいので、興味のない方はとばしてください)を尊重する日本人にとって、神の領域である天然石の世界。
人が踏み込むことは禁忌である。

中国で製造された人工ガラスのビーズ。
ご利益を期待する人は少ないだろう。
ところが、中国の古美術、たとえば古い書簡や壺などに、神性を見出す人は多い。
身も蓋もない話であるが、作者が故人であれば、神が宿ってしまう。

いっぽう、西洋ではキリスト教が主流。
神はイエス・キリストのみ(一神教)である。
万物に神が宿るという感覚がないから、石に神性を求めることはない。
純粋に石のもつ美しさに重点が置かれる。
ヴィクトリアストーンが発表時に高く評価され、今もなお注目されている所以であろう。
石を持てば持つほど神様が増え、ご利益が期待できるといった感覚は、彼らにはない。
キリストや仏陀、菩薩や天使やシヴァ、ネイティヴアメリカンやアボリジニの精霊が石ごとに宿るというのは私自身、謎である。
また、石の意味が気になって仕方がない、という人も滅多にいない。
ニューエイジの人々は例外である。

世界的には天然や合成を問わず、その宝石の完成度や特異性、美しさが評価の対象となる。
欧米で人造宝石の研究が盛んに行われ、専門誌まであるというのは、日本人にはない感覚だと思う。
こうした感覚の違いを理解するのは非常に難解なこと。
専門家でさえ読み違えていることがあるので、私自身不安であるが、独自のコラムを以下に作成した。
参考までにご覧いただくか、ご納得いかない場合は調べていただきたい。

中国で大量生産されるマガイモノが大いにきらわれるのは、欧米も同じ。
それどころか中国は鉱物界を襲った脅威、という声まで聞かれるほど。
その理由が我々とは根本的に異なっていることに注目したい。
思うに、日本人が容易に騙されてしまうのは、石に対する期待があまりに大きすぎて、石そのものを見る余裕を失っているためではないか。
人類がその知能と技術をもって天然の宝石を再現する、という夢は、古くから多くの研究者を虜にしてきた。
日本は人造宝石の分野においては、世界に遅れをとっている(ちなみに京セラが開発した人工オパールは、とっくに中国に真似されている)。

さて、お気づきかと思うが、が飯盛里安博士の功績はヴィクトリアストーンという新しい宝石の開発だけではない。
私の2012年の初夢に登場してくださった飯盛博士。
今回お借りした資料を拝見して驚いたのは、私の夢に登場されたのは、まさに80歳前後の博士そのものであったということである。
あの時博士が一瞬私に見せた、険しい表情は何だったのか。

飯盛博士の死からちょうど三十年目にあたる2012年。
至るところで不穏な動きがある。
陽気でユーモアあふれる性格だったという飯盛博士がみせた、険しい表情が意味するものとは。


注)コラム【アニミズムと日本人】
アニミズムとは、草木や大地、雨や雷など、あらゆる自然の物事を崇拝する原始的な信仰。万物に神が宿るという考え方。日本人の信仰心の基盤となっているとされる。そのため日本では、天然石であればとにかく神さまがいて、ご利益が期待できる!ということになっている…ような気がする。
アニミズムは主に未開拓の地域(要はジャングルの奥地など)を中心に残る概念で、先進国にあっては珍しい。
西洋では一神教であるキリスト教が文化の根底にある。神とはイエス・キリストのことだけを指す。石は神にはなり得ない。例えば、日本人はカリスマやリーダーを指して「神」と呼ぶことがあるが、西洋では人間が神になることはない。カリスマやリーダーは「マスター」であり「ゴッド」にはなり得ない。
日本人にとって宗教というと、特殊な団体という意味合いになってしまい、避けられることが常である。ここではスピリチュアリズム(スピリチュアル)に対する東西の考え方の違いとして捉えてほしい。
欧米でも、ニューエイジの人々は自らを神と名乗ることがある。現地では、一歩間違えると危険思想の持ち主になりかねないのだが、日本人には逆にわかりやすいために、受け入れられているというのが現状。一家にひとつアゼツライトがあり、持てば持つほどご加護も増えていくという感覚は、西洋人には難解であるようだ。

※以上はうさこふ独自の解釈です。あまり考えすぎると混乱します。アニミズムについてニュートラルに説明できる人は少数であり、慎重に調べる必要があるので要注意。


30×30×15mm  23.15g


~つづく~

今週、話題性が確認された10の鉱物

What Mineral Would You Take with You to A Deserted Island?